【おすすめ】後藤明生の全作品を一覧であらすじを紹介します

後藤 明生 ごとう・めいせい(1932年4月4日 – 1999年8月2日)

小説家。朝鮮咸鏡南道永興郡生まれ。敗戦と共に、日本に帰国した。早稲田大学第二文学部露文学科を卒業。大学在学中の1955年に『赤と黒の記録』で「文藝」全国学生小説コンクールに入選。1962年に『関係』で文藝賞佳作。1967年、「文學界」に発表した『人間の病気』で芥川賞候補となる。以後、4度芥川賞候補となるが、受賞はしなかった。1977年に『夢かたり』で平林たい子文学賞、1981年に『吉野大夫』で谷崎潤一郎賞、1990年に『首塚の上のアドバルーン』で芸術選奨文部大臣賞を受賞した。

おすすめ作品ランキング

長い記事なので、先におすすめランキングを紹介します!

  • 1位:挾み撃ち
  • 2位:首塚の上のアドバルーン
  • 3位:壁の中

作品年表リスト

『私的生活』1969

「もしもし、ご主人はいらっしゃいますか?」——あるときは女の声で、あるときは男の声で、思い出したようにかかってくる電話。しかし、男も女も、決して自分の名を名乗らない。「わたしがこの団地にいることを、忘れないで下さい」と告げる声の主は、以前に不倫関係にあった女性か? それとも、現在、不倫関係にある女性か? あるいは、その夫か?

『笑い地獄』1969

「あいつは笑われたくないために、いつも自分から先に笑い出しているのだ」――。週刊誌のゴーストライターである〈わたし〉は、気鋭のファッションデザイナーが主催するワイルド・パーティに潜入取材を試みる。しかし、パーティの最中に眠り込んでしまい……。お互いが「笑う/笑われる」関係の中で起きるグロテスクな悲劇と喜劇。

『何? 後藤明生作品集』1970

「いったい自分は何ものであるのか、何ものたらんと欲しているのだろう」――。会社を辞め職安に通う37歳の〈男〉は、東京郊外の3DKの団地に暮らしている。結婚して10年で10キログラムも太った妻は断食を試み、戦後生まれの二人の子供たちは飢えを知らない。〈男〉も戦中戦後の飢えの記憶がすでに失われ、ふしぎな不安に襲われる。団地という〈記憶を抹殺する流刑地のような場所〉での日常を描いた中編小説。

『関係』1971

「君なんかが想像している以上に雑誌出版界の人間関係は狭苦しく入り乱れている」——。婦人雑誌の女性編集者の視点から、原稿を発注する側と受注される側、大学の先輩・後輩・同級生、そして男と女の、徐々に入り組みややこしくなっていく人間関係を描いた中編小説。

『書かれない報告』1971

自身が暮らす団地についてのレポートを依頼された〈男〉は、ダイニングキッチンの天井からの水漏れや、流し台の白壁の傷から這い出る蟻など、住まいについての考察をめぐらせていく。自問を繰り返した〈男〉は、「はっきりしていることは、唯一つだった。住居はすでに男の一部だ」という結論に至る——。マンモス団地に暮らす〈無名の男〉を描いた中編小説。

『円と楕円の世界』1972 エッセイ

『後藤明生集』1972

『挟み撃ち』1973

20年前に北九州から上京した時に着ていた旧陸軍の外套の行方を求めて、昔の下宿先を訪ねる1日の間に、主人公の心中には、生まれ育った朝鮮北部で迎えた敗戦、九州の親の郷里への帰還、学生時代の下宿生活などが、脱線をくり返しながら次々に展開する。

他者との関係の中に自己存在の根拠を見出そうとする思考の運動を、独特の饒舌体で綴った傑作長篇。

『疑問符で終る話』1973

鉄筋コンクリート五階建ての団地の二階に暮らす〈男〉の家で、ある日とつぜんテレビの調子がおかしくなった。その白黒テレビを修理すべきか? カラーテレビに買い替えるべきか? 何度もセールスに訪れるテレビ屋を、果して敵と呼ぶべきだろうか? そして、そのテレビ屋の名前は? 〈男〉は様々な事柄に自問し続ける……。

『ロシアの旅』1973

『四十歳のオブローモフ』1973

40歳の誕生日を迎えた小説家・本間宗介は、ロシアの小説『オブローモフ』のような怠け者として生きることを理想としている。しかし、妻子とともにマンモス団地に暮らす彼に、そのような生活は許されない。オブローモフに憧れながらも、深夜から早朝まで原稿を書き、月に一度はテレビに出演し、旅行記を書くためシベリアに行き、講演先では色紙を書き、妻の教え子の結婚式では仲人を務め、子犬を拾ってきた息子に「団地では飼えない」ことをどのように諭すべきか逡巡し……。逃げられない日常をユーモラスに描いた著者初の長編小説。

『分別ざかりの無分別』1974 エッセイ

『パンのみに非ず』1974

『雨月物語紀行』1975

『眠り男の目 追分だより』1975

『思い川』1975

「自分はこの地に、到着したのではない。あらかじめ目ざした場所に到着したのではなくて、考えてもみなかったところへ漂着したのに過ぎない」――。敗戦の年に亡くなった父親の友人を訪ねて当時の話を聞き出そうとする「父への手紙」、今は異国となった生まれ故郷・北朝鮮の旧制中学校の同窓会に初めて出かける「釈王寺」、亡くなってから初めて夢に現れた父親の姿に思いを巡らす「父の夢」、近所の綾瀬川へ家族で土筆を取りに出掛けながら故郷の川・龍興江での記憶をたどる「思い川」。筆者自身の原体験をモチーフにした四編による連作長編小説。

『不思議な手招き』1975

『大いなる矛盾』1975

『夢かたり』1976

日本の植民地だった朝鮮半島で「軍国少年」として育ち、敗戦のため生まれ故郷を追われ、その途上で祖母と父を亡くし、命がけで「38 度線」を超えて内地に引揚げてきた。しかし、敗戦から何年が経っても、心の奥底には「日本」という国家や「日本人」に対する違和感を抱え、自らを日本人でありながら「異邦人(エトランゼ)」のように感じていた――。そんな引揚者たちの「失われた故郷」での美しき想い出、ソ連侵攻による恐怖、国家に対する幻想と崩壊、そして、不条理に奪われた「アイデンティティ」を取り戻すための葛藤……。作者自身の引揚体験を描いた『夢かたり』『行き帰り』『噓のような日常』の三作品を完全版で所収!

『めぐり逢い』1976

家族の中で最も猫嫌いだった〈わたし〉が、ペット禁止の団地で猫を飼うことになる。野良猫のゴンと牝猫のナナだ。しかし、〈わたし〉には不思議だった。「妻や子供たちが、何故、自分の猫をそれ程までに飼いたがるのか。単に猫一般を愛するのではなく、自分の飼猫として可愛がらずにはいられない気持が、不思議だった」――。そして、ある日の午後、謎の電話がかかってくる。聞き覚えのない女の声は、「お宅では最近、猫を飼われましたね。あの猫は、余りいい猫じゃあありませんよ」と告げるのだった。夏目漱石の『吾輩は猫である』を本歌取りしたユーモア長編小説。

『行き帰り』1977

『笑坂』1977

『夢と夢の間』1978

『虎島』1978

『酒 猫 人間』1978 エッセイ

『嘘のような日常』1979

『針の穴から』1979

『ある戦いの記録』1979

「わたしの内なる被害者面をした疎外氏よ、さらば!」―—半年前まで無名の画家だった〈わたし〉は、アパートの隣室に住む女性のため、密かに自動式自慰機械の開発に没頭する。製作開始から三カ月、あとは「偉大なる人工性器」が入手できれば完成する。それは〈わたし〉にとっての「戦い」だったのだが……。カフカ作品のパロディがちりばめられた不条理中編小説。

『八月・愚者の時間』1980

『吉野大夫』1981

『吉野大夫』という題で小説を書いてみようと思う。――かつて信濃追分に実在した遊女・吉野大夫の史実を探し求める主人公の〈わたし〉。吉野大夫をキーワードにして、さまざまな文献、土地、人々を遍歴した結果、彼女の墓や過去帳は見つけ出せたが……。はたして、小説を書き始める際に〈わたし〉がノートに箇条書きにした疑問符は、解決できたのか? 1981年に発表され第17回・谷崎潤一郎賞受を受賞した長編小説。

『見える世界、見えない世界』1981 エッセイ

『笑いの方法 あるいはニコライ・ゴーゴリ』1981 エッセイ

後藤明生「没後」20年、ゴーゴリ「生誕」210年! ゴーゴリ作品の真髄である「笑い」に迫った名著が、大幅な増補&新装版で蘇る。新版特典として、後藤が翻訳したゴーゴリの『鼻』と恩師・横田瑞穂氏と共訳した『外套』を初再録。伝説の名訳が完全版で掲載されるのは実に40年ぶり! 「われわれは皆ゴーゴリの『外套』から出て来た」というドストエフスキーの名文句の真意とは何か? 他者を笑う者は他者から笑われる!?――。これまで誤解され続けたゴーゴリの「笑い」を大胆に刷新する、後藤の孤軍奮闘ぶりをご覧あれ!

『女性のための文章教室 可能性を発見する24章』1982 エッセイ

『汝の隣人』1983

『復習の時代』1983 エッセイ

『小説-いかに読み、いかに書くか』1983 エッセイ

人は、さまざまな体験や感動をもっている。それを小説にまとめあげられたら、どんなにうれしいことだろう。小説を読むのも、そこに共感する自己の投影をみるからであり、同時に、書く方法がわかれば、小説にしてみたいと、だれしも思う。本書は、日本の名作をとりあげ、読むことを通して、心理描写、文章表現のコツをつかみ、小説の発想を汲みあげる。

『おもちゃの知、知、知』1984

『謎の手紙をめぐる数通の手紙』1984

面識も心当たりもない男から手紙が届く。手紙は「どのようにして小生の鼻に関する秘密を知ったのか?」という内容だった。その問いをめぐって、「エニグマ」と名乗る男と、その同僚とおぼしき人物、その同級生でエニグマがよく知っているとおぼしき男とのあいだで、謎の手紙が交わされる——。「エニグマ」とは誰か? 「小生の鼻に関する秘密」とは何か?

『自分のための文章術』1985 エッセイ

『壁の中』1986

ドストエフスキー、ゴーゴリ、カフカ、聖書、永井荷風などを俎上に載せ、アミダクジ式に話を脱線させながら読者を迷宮へと誘い込む「インターテクスチュアリティ」の極北は……まさかの官能小説? キャンパスノベル? 妄想ミステリー? 堂々の680ページ&原稿用紙1700枚!

『使者連作』1986

『蜂アカデミーへの報告』1986

信濃追分の山小屋で〈わたし〉は、スズメ蜂に刺され九死に一生を得た。その顛末と考察を、井伏鱒二の『スガレ追ひ』、ファーブルの『昆虫記』、永井荷風の『断腸亭日乗』、新聞記事の引用、蜂被害者に関する証言などをもとに、「蜂アカデミー」に宛てた報告書としてまとめる――。カフカの『アカデミーへの或る報告書』やメルヴィルの『白鯨』といった作品をパスティーシュした中編小説。

『ドストエフスキーのペテルブルグ』1987 エッセイ

『文学が変るとき』1987 エッセイ

『カフカの迷宮 悪夢の方法』1987 エッセイ

カフカの小説を読むたびに、その世界が増殖していく。もちろんカフカの小説、テキストが増殖するわけではない。増殖するのは、わたしの中のカフカ世界だ——。小説とは「あらゆるジャンルとの混血=分裂によって無限に自己増殖する超ジャンルである」と定義し、『変身』『審判』『判決』『万里の長城』などの作品をアミダアクジ式に脱線しながら読み解いていく、エッセイ風カフカ論。

『もう一つの目 エッセイ集』1988

『首塚の上のアドバルーン』1989

マンションの14階から語り手は、開発によって次第に変化する遠景の中にこんもりとした丘を見つけ、それが地名の由来となった馬加(まくわり)氏の首塚と知る。以来テーマはひたすら首塚の探索となり、新田義貞の首塚から、さらに『太平記』『平家物語』のすさまじい首級合戦へとアミダクジ式につながり、時空を越えて展開する。

『行方不明』1989

団地専門の週刊身上相談新聞を無料で発行するシグマ研究所で、割付けならびに校正の仕事をする〈わたし〉は、不可解な事件に巻き込まれる。四週間も新聞が配達されていない地域があるというのだ。事件の犯人や全体像もわからぬまま、〈わたし〉は「行方不明になっているのは、ひょっとすると、君の現実なのだ」と宣言される——。

『スケープゴート』1990

太宰治『津軽』『思い出』『懶惰の歌留多』『十二月八日』、カフカ『アカデミーへの或る報告書』『万里の長城』、ファーブル『昆虫記』、ドストエフスキー『罪と罰』、プーシキン『スペードの女王』、プラトン『饗宴』、チェーホフ『かもめ』、内田百閒『女煙草』……。テキストからテキストへとアミダクジ式に遍歴しながら紡がれた贋書簡や贋講演録による7作品を所収した短編小説集。

『メメント・モリ 私の食道手術体験』1990 エッセイ

『しんとく問答』1995

ある時はマーラーの交響曲を聴くために、またある時は宇野浩二の文学碑を訪ね、さらには大阪城公園を散策し、そこで知った「四天王寺ワッソ」の見物に出かけ……。単身赴任の初老の男が、地図を片手に大阪の街を歩き回り、遂には俊徳丸の墓と思われる古墳へとたどり着く。「マーラーの夜」「十七枚の写真」「大阪城ワッソ」「俊徳道」ほか全8作から成る、日記文、書簡文、講演録など、さまざまな形式で記された連作小説。

『小説は何処から来たか 二〇世紀小説の方法』1995 エッセイ

「なぜ小説を書くのか? それは小説を読んだからだ」――。独自の小説論を提唱し実践してきた小説家・後藤明生が、過去に発表した原稿を自らの手で「REMIX=再編集」し、日本近代文学史の書き直しに挑んだ小説論の集大成。二葉亭四迷→日本文学とロシア文学→夏目漱石→芥川龍之介→永井荷風→宇野浩二→牧野信一→横光利一→太宰治→花田清輝→武田泰淳→鮎川信夫→丸谷才一→古井由吉……。巻末には著者が自ら編纂した「世界小説年表」を掲載。解説は映画監督・評論家の樫原辰郎さん。小説の未来は小説の過去にある!?

『小説の快楽』1998 エッセイ

後藤文学の原点をあかす随筆集。
小説の快楽とは何か?読む=書く。メビウスの帯。現代文学を走り続ける作家の禁煙体験から「千円札小説論」まで。

千円札の表は夏目漱石である。しかし漱石がいかに大文豪であっても、表だけではニセ1000円札である。表と裏があってはじめて本物の1000円札である。小説も同じである。書くことが表だとすれば、読むことは裏である。書くこと/読むことが、表裏一体となってはじめて小説である。これが私の「1000円札小説論」である。私の「小説の快楽」は、この1000円札小説論に基づいている。

『日本近代文学との戦い 後藤明生遺稿集』2004

二葉亭、漱石、学生、私語、ウーロン茶、シーシー蝉、雨戸、文部省文体…と格闘する“内向の世代”の作家=後藤明生の遺稿集。連作小説集(表題)の他、講演・講義録・エッセイ等にもとづく多彩な「格闘」の軌跡を浮き彫りにする。

『この人を見よ』2012

『後藤明生コレクション』2016-2017

雑誌出版界にうごめく人間たちの、徐々に入り組み複雑に錯綜してゆくさまざまな関係を、婦人雑誌の女性編集者の視点から、苦いユーモアと軽妙な筆致を交えて描き、文藝賞〈中短篇部門〉佳作となった「関係」。気鋭のファッションデザイナーが主催するワイルド・パーティに潜入取材を試みた週刊誌のゴーストライターが目にしたマスコミ業界で翻弄される関係者たちの浮薄で空虚な姿。お互いが笑い、笑われる非情な関係の中で織りなされるグロテスクな悲喜劇のうちに自らの存在証明を見出す人間を洒脱な筆で描いた「笑い地獄」。同じアパートの隣室に住む独身女性のため、密かに自動式自慰機械の開発に没頭する無名の画家。製作開始から三カ月、あとは「偉大なる人工性器」が入手できればそれは完成する……宙吊り状態にある男の、内なる疎外からの脱出を目指す、奇行ともいうべき戦いを笑いの含蓄を込めて描いた「ある戦いの記録」ほか、粒ぞろいの初期秀作8作を収録。

  • 全5巻

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