【書評】落日燃ゆ(城山三郎)のあらすじ・感想

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タイトル
落日燃ゆ
著者
城山三郎
形式
小説
ジャンル
伝記小説
執筆国
日本
版元
新潮社
初出
1974年
刊行情報
新潮文庫
受賞歴
第9回吉川英治文学賞
第28回毎日出版文化賞

東京裁判で絞首刑を宣告された七人のA級戦犯のうち、ただ一人の文官であった元総理、外相広田弘毅。戦争防止に努めながら、その努力に水をさし続けた軍人たちと共に処刑されるという運命に直面させられた広田。そしてそれを従容として受け入れ一切の弁解をしなかった広田の生涯を、激動の昭和史と重ねながら抑制した筆致で克明にたどる。毎日出版文化賞・吉川英治文学賞受賞。

落日燃ゆ』新潮文庫

僕が高校生の頃、一番得意な科目は日本史だった。小学校、中学校と社会、公民の成績が最もよく、その流れが高校まで続いていたのかもしれない。歴史の流れを覚えることはある意味小説好きと相性がよく、小説が出題される国語以上だった。国語では小説読解の問題も出題されるが、登場人物の気持ちを答える問題などは存外ミスが多かった。模範解答を見て、「なんでそうなるんだよ」と不満を覚えることもしばしば。自分の読解と正解が異なることに不満を覚えた小説好きな学生はなにも僕だけではないだろう。

今作『落日燃ゆ』の主人公は広田弘毅。新潮文庫版の背表紙にはこうある。

東京裁判で絞首刑を宣告された七人のA級戦犯のうち、ただ一人の文官であった元総理、外相広田弘毅。

落日燃ゆ』新潮文庫

東京裁判で絞首刑を宣告された七人のA級戦犯うち、六人は板垣征四郎陸軍大将、土肥原賢二陸軍大将、東条英機陸軍大将など陸軍の将校たちであった。文官として死刑を宣告されたのは広田ただ一人である。

落日燃ゆ』ではそんな広田の幼少期から死までを克明に描いている。石屋の息子として貧しかった幼少時代、学業優秀を認められて一高、東大と進んだ学生時代、外交官試験に合格して各国書記官や大使として活躍した時代、日本が戦争へと進んでいく中で外務大臣、総理大臣として苦慮した時代、そしてA級戦犯として東京裁判に臨むことになった戦後時代。

同じ戦時下の総理大臣といっても、東条英機の名を知ってる人はいても広田弘毅の名を知る人はそれほど多くはないだろう。前述したように僕は高校時代、日本史が得意科目だった。大学入試でも日本史を選択したが、広田について覚えていることといえば、「総理大臣経験者」「A級戦犯」「首相時代に軍部大臣現役武官制が復活した」くらいのことでしかない。

とにかく読むことすべてが初めて知ることばかりだった。広田が外交官であったことや、貧しい家系の出身であることも知らなかった。日本史の授業では、軍部大臣現役武官制により軍部の主張を抑えることができなくなったというニュアンスのことを教わるため、その制度を復活させた広田に対しての印象は悪いものだったが、その印象は本作を読むことですっかり覆された。

作中でしきりに繰り返されるのが「自ら計らわぬ」という広田の姿勢を表す言葉である。広田は自ら出世を望まず、有力なポストを求めることもしない。希望する役職を直談判しに行ったエピソードが紹介される同期の吉田茂とは対照的に描かれている。与えられた位置で力を発揮できるように日夜勉強に励む。「なるようになる」というと投げやりな印象ではなく、「泰然自若」という懐の深い大人物のイメージが近いだろうか。

広田が外交官や政治家として活躍した時期は、そのまま軍部が独走し戦争へと舵を切った時代に当たる。広田は外交官として、戦争突入を回避するために、ありとあらゆる努力を積み重ねた。軍部が政党政治を否定しようとする混乱期には、労多きことを覚悟しつつ首班指名を受けた。盧溝橋事件が発生し、戦火が拡大していく中にあっても、和平の道を探り続けた。そんな広田は、敗戦後にA級戦犯として逮捕されても自らの弁明を行うことはなかった。

戦争の口火を切り、外交交渉による和平の道を閉ざしたのは間違いなく軍部の独走によるものだった。広田の目指した平和協調外交は軍部のあらゆる妨害に寄りとん挫したのである。しかし、広田はそんな仇敵たちとともにA級戦犯として逮捕されても、恨み言を言うことなく自らの責任を認めたのである。

善き戦争はなく、悪しき平和というものもない。外交官として、政治家として、戦争そのものを防止すべきである。それは、小村寿太郎以来、幣原に至るまで、霞ヶ関外交の伝統であったはず。かつて広田は最初の外相就任当時、「わたしの在任中、断じて戦争はない」と述べたが、それは広田の覚悟であり、責任感の表明であった。だが、最後に近衛内閣の外相をつとめたとき、日中戦争が起った。「その点、他の被告がどう考えようと、自分は責任を避ける気になれない。自分は責任者である」と、広田はむしろ声を上げて名のり出たいくらいであった。

落日燃ゆ』新潮文庫

本作に描かれる広田弘毅は平和主義者であり、国際協調主義者であり、勉強家で、愛妻家だ。作者の城山三郎もそんな広田に惚れ込んだのだろう。だが、本作の筆致は極めて冷静で第三者的な視点を維持している。和平への道を探る広田を情熱的にも、英雄的にも書くことができたはずだがそうはしていない。それでいて読み終わったときには静かな感動が胸に迫ってくる。そのような感情を抑制した書き方こそが、国を憂う清廉潔白な人物であった広田弘毅の生涯を描くのに最適な方法だったのだ。

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