【おすすめ】保坂和志の全作品を一覧であらすじを紹介します

保坂 和志 ほさか・かずし(1956年10月15日 – )

小説家。山梨県生まれ。鎌倉市育ち。早稲田大学政治経済学部卒。大学時代に小説の習作を始め、同人誌『NEWWAVE』を発行したものの1号で廃刊となった。大学卒業後、小説を書く時間のありそうな職場として西武百貨店のコミュニティ・カレッジに就職。職業作家を目指して創作活動を続け、1990年、『プレーンソング』を『群像』に発表しデビュー。1993年、『草の上の朝食』にて第15回野間文芸新人賞受賞。1995年、「この人の閾」で芥川賞受賞。1997年、『季節の記憶』で谷崎潤一郎賞、平林たい子文学賞を受賞した。

おすすめ作品ランキング

長い記事なので、先におすすめランキングを紹介します!

  • 1位:小説、世界の奏でる音楽
  • 2位:カンバセイション・ピース
  • 3位:この人の閾

作品年表リスト

『プレーンソング』1990年

『草の上の朝食』1993年

猫と競馬とともに生きる、ぼくと島田とアキラとよう子。4人の若者による、奇妙な共同生活が始まった。彼らの日常を独特の文体で描いた、芥川賞作家のデビュー作「プレーンソング」と、その続編ともいうべき野間文芸新人賞受賞作の「草の上の朝食」。文学界に新しい風を吹き込む、気鋭の作家の傑作2編。

『猫に時間の流れる』1994年

『この人の閾』1995年

『季節の記憶』1996年

『残響』1997年

『羽生—「最善手」を見つけ出す思考法』1997年

本書は「将棋の本」ではない。著者は、棋士・羽生善治のインタビュー、自戦記などを丁寧に読み解き、彼の思考の「核」に迫っていく。

羽生の将棋観のキーワードである「最善手」を軸にして思考プロセスを辿り、将棋が分からない読者でも「人が考える」という行為の本質的な面白さに到る、芥川賞作家の画期的「羽生」論かつ「思考」論。

  • 『羽生〜21世紀の将棋』1997年
  • 『羽生—「最善手」を見つけ出す思考法』光文社・知恵の森文庫

『アウトブリード』1998年

小説とは何か? 生と死は何か? 世界とは何か? 論理ではなく、直観で切りひらく清新な思考の軌跡。真摯な問いかけによって、若い表現者の圧倒的な支持を集めた、読者に勇気を与えるエッセイ集。

『<私>という演算』1999年

〈私〉についてこうして書いている〈私〉という存在とは……。〈私〉と世界との関係を見つめた表題作はじめ、思考のかたちとしての九つの短篇小説。

『もうひとつの季節』1999年

『生きる歓び』2000年

死のぎりぎりの瀬戸際で「生」に目覚めた子猫。その命の輝きをまのあたりにした「生きる歓び」。小説家・田中小実昌への想いを言葉を尽くして描いた「小実昌さんのこと」。瑞々しい感性で生と死の実感に寄り添う短篇二作を収録。

『明け方の猫』2001年

明け方見た夢の中で彼は猫になっていた。猫といってもまだ新米の猫なので、四本の足を動かして歩くこともなかなか自由にはいかない……。猫文学の新しい地平を切り開いた著者が、猫の視点から、世界の意味を改めて問い直す意欲作。 デビュー前の実験的小説「揺籃」を同時収録。

『世界を肯定する哲学』2001年

『小説修業』2001年、小島信夫

小説をとおして、世界をどのように捉えるか――。生と死、科学と哲学、小説のこれまでとこれからについて、小説に〈奉仕〉する二人の作家がとことん問いかけ合う往復書簡。

『カンバセイション・ピース』2003年

「きっとそれは私の心の中だけの出来事ではなくて、世界の中で起こったことだと考えていいはずじゃないかと思うのだ」
小説家の私が妻と三匹の猫と住みはじめた築五十年の世田谷の家。そこに暮らす人々の音や交錯する視線に誘われるように立ち上がる家の記憶は、やがて生と死、過去と現在を溶かした壮大な交響曲(シンフォニー)となり、いま、私たちは〈世界の深層〉を体感する。

『言葉の外へ』2003年

私たちの身体に刻印される保坂和志の思考—-「何も形がなかった小説のために、何をイメージしてそれをどう始めればいいのかを考えていた」時期に生まれた、散文たち。圧巻の「文庫版まえがき」収録。

『書きあぐねている人のための小説入門』2003年

小説を書くときにもっとも大切なこととは?実践的なテーマを満載しながら、既成の創作教室では教えてくれない、新しい小説を書くために必要なことをていねいに追う。読めば書きたくなる、実作者が教える〈小説の書き方〉の本。
著者の小説が生まれるまでを紹介する、貴重な「創作ノート」を付した決定版。

『小説の自由』2005年

小説は、読んでいる時間のなかにしかない。読むたびに、「世界」や「人間」や「私」について、新たな問いをつくりだすもの、それが小説なのだ――。ときに立ち止まり、ときに駆け抜ける、思考の原形としての「生(なま)」の小説論。

『小説を書きたい人の本』2005年、市川拓司、島本理生

『人生を感じる時間』2006年

「希望」なんて、なくたっていい――。「いまここにいること」を肯定する、まったく新しい人生論。世界の魅力を再発見する、現代人必読の26編。単行本『途方に暮れて、人生論』(小社刊)改題。

  • 『途方に暮れて、人生論』草思社、2006年
  • 『人生を感じる時間』文庫

『小説の誕生』2006年

「小説論」というのは思考の本質において、評論でなく小説なのだ。(まえがきより)
小説的思考とは何か? 小説が生成する瞬間とはどういうものか? 小説的に世界を考えるとどうなるのか? 前へ、前へと思考を進める小説論。

『いつまでも考える、ひたすら考える』2007年

結論に逃げ込まず、「考える」行為にとどまりつづけろ! 作家の紡ぐ「うねる」言葉が、本質的な思索へと読者を導く。自分の人生をつかむための粘り強い思考の作法。単行本『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた 』小社刊改題。

  • 『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』草思社、2007年
  • 『いつまでも考える、ひたすら考える』文庫

『小説、世界の奏でる音楽』2008年

「読者を信じる」というのは、「読者全般に通じるように書く」ということではない。 「少数であっても、最良の読者に訴えかけるように書く」ということだ。 私は本書、とりわけ終わりの二章を、最良の読者を念頭に置き、その人たちを信じて書いた。 それでもしかし「唐突」と感じられるとしたら、それが小説本来の唐突さだ。 (文庫版まえがきより) 『小説の自由』『小説の誕生』に続く、小説論3部作の完結篇が待望の文庫化! 著者が「『どれか一冊』と言われたら、この本をこそ読んでほしい」という刺激と思索に満ちた作品。

『猫の散歩道』2011年

鎌倉で過ごした子ども時代、猫にお正月はあるのか、新入社員の困惑……生きていく日々をのびやかに綴ったエッセイ集。小説の断片となるきらめきがちりばめられた88篇。

『魚は海の中で眠れるが鳥は空の中では眠れない』2012年

「……効率最優先・経済最優先、あるいは「心にしみるいい話」や「人を動かすすばらしい話」しか求めていない人には小説とはどこに価値があるのかまったく理解しがたいものだが、どれだけ手を尽くしても死は避けられず、死の前ではいくら言葉を費やしてもやっぱり沈黙と向き合わなければならないことを怖くても認めるなら、人を最後に救うのは小説あるいは音楽、美術、映画……etc.といった芸術でしかない。だからエッセイは芸術ではないわけだが、私はふつうにエッセイを書くのはどうしても退屈なので、可能なかぎり小説を書く呼吸に近づけて(この本のもととなった)『寝言戯言』という連載を書いた……」(「まえがき」より)

《こいつ、何言ってんだ?》と思われかねない、寝言や戯言のような言葉で、どこまでも考える。死と生の意味にまっすぐ逃げずに向き合った、小説魂あふれるエッセイ集!

『ことばのポトラック』2012年

3.11以後、詩人、作家、写真家が東京のライブハウスに「持ち寄り(ポトラック)」、発表した新作を完全収録。震災・原発事故のショックのさなかで言葉を手さぐりし、人々と被災地に向けてつむいだ希有の記録! 谷川俊太郎、穂村弘、岡井隆、角田光代、片岡義男、佐々木幹郎、畠山直哉 、古川日出男、堀江敏幸、ル・クレジオはじめ超豪華な執筆陣。

『カフカ式練習帳』2012年

ページを開くと、目の前に小説が溢れ出す! これは断片か長篇か? 保坂和志によって奏でられる小説の即興演奏。

『未明の闘争』2013年

池袋の「ビックリガードの五叉路」で、私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた。彼の告別式で久しぶりに再会した高校の同級生のアキちゃんが、ブンとピルルという猫たちと暮らす家に、妻が不在の夜に突然訪ねてくる。さらにはお隣の三池さんの娘さんも加わって終わらないおしゃべりに、思いは時空を超える。

『考える練習』2013年

「考える」とは論理を詰めることではなく、世界と触れ合うことだ。頭の中の「使っていないソフト」を動かす。
 ◎「自分の命が何より大事」というのは本当だろうか?
 ◎「論理的」イコール「正しい」とは言えないのではないか?
 ◎「人は死なない」と考えることもできるのではないか?
論理に縛られて「テンプレート化した発想」から抜け出すための12講。

『あさつゆ通信』2014年

この小説の主役は、読みながら読者の心に去来するその人その人の時間と光景だ。人は孤立していない、一人一人は閉じられた存在ではない。人は別々の時間を生きて大人になるが、別々の時間を生きたがゆえに繋がっている。(「あとがき」より)

『音楽談義 Music Conversations』2014年、湯浅学

70年代、僕たちは何を聴いていただろう。
ボブ・ディラン、レッド・ツェッペリンから、歌謡曲、フォーク、ジャズまで!
保坂和志と湯浅学が語りつくす。

レコードへの偏愛を語り、風景が立ち上がる。
小説家、保坂和志。音楽評論家、湯浅学。同学年のふたりが語るフォーク、ロック、ジャズ。
音楽メディアでも文芸誌でも絶対に読めない、自由奔放な音楽談義。

保坂和志82年最初期原稿(雑誌「サーフィンライフ」誌掲載)もお蔵出し!
村上春樹『羊をめぐる冒険』の書評も! ?

  • 『朝露通信』中央公論新社、2014年
  • 『あさつゆ通信』文庫

『遠い触覚』2015年

かつてこれほど「小説家」という存在に近接した本があっただろうか!? 小説家の中に潜む「混沌という名のリアル」に触れる「奇跡」の連載がついに単行本化!!
――2003年に長篇『カンバセイション・ピース』を発表して以降「もう小説を書かなくてもいいかな」と思っていた小説家は、2010年から、次々と傑作を世に送り出す。その間にいったい、小説家の身体の中で「何」が起こっていたのか? 「私がしたのは、私はしなかったからだ」――帯に謳われたこの、わけがわからない言い回しを皮切りに、あなたはいま「小説家」の思考の海にダイブする!!

『チャーちゃん』2015年、小沢さかえ

「ぼく、チャーちゃん。はっきり言って、いま死んでます」「死ぬと生きるの、違い?よくわかんないな。死んでも生きても、ぼくはぼくだからね」人は死んだらいなくなるというのがこの社会の常識だが、果たしてそれはほんとうなのだろうか。そして、ぼくたちの実感にもそれはそぐわないのではないか。現代文学の旗手、保坂和志が、一匹の死んだ猫を語り手に紡いだ「死」を巡る言葉は、奔放かつ繊細な小沢さかえの油彩画とともに、思いがけない死の姿を照らし出します。

『アトリエ会議』2015年、磯崎憲一郎、横尾忠則

現代最高峰の画家にして、芸術の巨人・横尾忠則。
79歳になった今なお、他の追随を許さない彼の思考と創造の秘密とは一体どんなものなのか?
アトリエの空気に導かれ、画家と作家のおしゃべりは溢れ出し、わたしたちはいつしか“創造”の秘密に出会うーー〈奇蹟の時間〉にようこそ

『試行錯誤に漂う』2016年

「私」をほどいていく小説家の思考=言葉。
芸術の真髄へといざなう21世紀の風姿花伝。

『地鳴き、小鳥みたいな』2016年

子ども時代の記憶を確かめようと訪れた、母の実家の町。土地の描写のなかに、「あなた」と呼ぶ女性とのやりとりが綴られる。(「地鳴き、小鳥みたいな」)夏。K先生の訃報。若い友人の死。20代で出会ったある先生との忘れがたい対話。枯れて見えたその先生から聞かされた性欲をめぐる話が意外で、20代の私はただ驚いた(「夏、訃報、純愛」)。他に2篇を収録。

『ハレルヤ』2018年

キャウ! 一九九九年に作家夫婦の家にやってきた片目の猫、花ちゃんは、十八年八ケ月を生きて、旅立った。死は悲しみだけの出来事ではないと、花ちゃんは教えた(「ハレルヤ」)。死んだ友だちの葬儀で、彼と過ごした時間の歓びに満たされる川端賞受賞作「こことよそ」を併録。心が激しく動いたことが書かれた四つの短篇。

『読書実録』2019年

本を筆写しながら言語と非言語の閾へと導かれていく私。亡き作家との対話の先で出会う権力の生成点と、小説が導く〈自由〉の地平。

『もの書く人のかたわらには、いつも猫がいた NHK ネコメンタリー 猫も、杓子も。』2019年、角田光代、吉田修一、村山由佳、柚月裕子、養老孟司

作家はなにゆえ猫を愛す?NHKの人気番組「ネコメンタリー 猫も、杓子も。」が一冊になった!作家が語る愛猫との暮らしがオールカラーで楽しめる。番組のための書き下ろし作品も収録。

『掌篇歳時記 春夏』2019年、瀬戸内寂聴、絲山秋子、伊坂幸太郎、花村萬月、村田沙耶香、津村節子、村田喜代子、滝口悠生、橋本治、長嶋有、髙樹のぶ子

麋角解(さわしかのつのおつる)、東風解凍(とうふうこおりをとく)、桃始笑(ももはじめてわらう)――あまりにも美しい、四季を彩る“季節の名前”。古来伝わる「二十四節気(にじゅうしせっき)七十二候(しちじゅうにこう)」に導かれ、手練れの十二人がつむぐ匂やかな小説集。

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