サイドカーに犬(長嶋有)のあらすじ(ネタバレなし)・感想

母親が家出した家庭に突如入り込んできた主人公・ヨーコと、10歳の少女・薫の心の交流を描いた作品。長嶋有のデビュー作である。

サイドカーに犬の作品情報

タイトル
サイドカーに犬
著者
長嶋有
形式
小説
ジャンル
家族
執筆国
日本
版元
文藝春秋
初出
文學界、2001年6月号
刊行情報
文春文庫
受賞歴
第92回文學界新人賞
第125回芥川賞候補

サイドカーに犬のあらすじ(ネタバレなし)

大胆でかっこいい父の愛人・洋子さんと小4の薫の奇妙な夏の日々を爽やかに綴った文學界新人賞受賞作。子どもの視点がうつしだすあっけらかんとした現実に、読み手までも小学生の日々に引き戻される傑作短篇。

作者

長嶋 有 ながしま・ゆう(1972年9月30日 – )

小説家、漫画家、俳人。埼玉県草加市生まれ、北海道登別市、室蘭市育ち。東洋大学2部文学部国文学科卒業。少年時代には漫画やライトノベルを好むも、高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』や色川武大「連笑」を読み影響を受ける。

その後、シヤチハタに就職し、文学賞への投稿を開始。退職後は作品執筆やフリーライターとしての活動を経て、『サイドカーに犬』が第92回文學界新人賞を受賞しデビュー。2002年「猛スピードで母は」で第126回芥川賞を受賞した。2016年『三の隣は五号室』で第52回谷崎潤一郎賞受賞。

サイドカーに犬の刊行情報

  • 『猛スピードで母は』文藝春秋、2002年1月
  • 『猛スピードで母は』文春文庫、2005年2月

映画『サイドカーに犬』

映画『サイドカーに犬』2007年6月23日
監督:根岸吉太郎、出演:竹内結子、古田新太、松本花奈、鈴木砂羽

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サイドカーに犬の登場人物

ヨーコ
母親が家出した家庭に入り込む女性。大胆で大雑把だが涙もろい一面もある。


10歳の少女。母親が家出するという非常事態の中、ヨーコさんとの交流を深める。

サイドカーに犬の感想・解説・評価

以前にも読んだことがあったはずだったが、内容はあまり覚えてはいなかった。読んでいないのかもしれないなと思ったが、終盤の展開にはぼんやりとした既視感があったし、記録をつけている読書メーターには「2012年2月12日」と読了日が残されていた。しかしなんといっても覚えていないので、おもしろいと思ったのか、つまらないと思ったのか、雑にパラ読みしてしまったのかすら分からない。

正直言って序盤は退屈だった。語られるエピソードや、小物に関して対して関心が持てなかった。父や洋子さんがどんな人なのかもよく分からなかった。それでも読み進めていくとある地点から途端におもしろくなって、急に姿勢を正して読み進めることになった。

物語とか気になった点

主人公のは数年ぶりに弟と再会するそのときに、かつて父の愛人である洋子さんと共に過ごしたひと月ほどの日々を懐古する。読者が気になるのは「母の家出」という大事件に小学四年生で遭遇したのにもかかわらず落ち着いている薫の姿なのではないだろうか。心細さは「冷蔵庫をあける」ときだけなのだ。母がいなくなってしまうことではなく、食べるものがなくなることを心配しているようですらある。

一ついえるのは私は昔から一貫して鈍い女だということだ。

そういう意味では弟と同じで私もまったく変わっていない。とにかく外出しないのだ。

大人になった薫は自分のことを「一貫している」または「変わっていない」と評価している。しかしそれは成人になった彼女がいまだに子どもっぽい部分を残しているのではなく、小学四年生のi時点ですでに大人っぽかったのではないだろうか。

名前を与えられた登場人物

作中では薫の家族の名前は登場せず「父」「母」「弟」と呼ばれる。父の関係者も「店長さん」とやはり名前では呼ばれない。その中で主人公と父の愛人にだけ名前が用意されているのは印象的だ。

女は「ようこ」と名乗った。普通、自分を紹介するときは名字を名乗るものだと思っていたので、いきなり「ようこ」といわれてずいぶん衝撃を受けた。

なんだかふらふらとしてしっかりとした様子を見せない「父」と食器の使い方や買い物にもルールを設定している「母」。そんな二人のあいだに息苦しさを感じるのはなにも薫だけではない。

その後母が家出をして生活は荒れていくわけだが、この過程に読者が覚えるのは変化に対する不安ではなく解放感だろう。読者は主人公と血の繋がる「父」や「母」ではなく、新たに登場する洋子さんに親近感を覚えていく。

そんな中で読者が心を動かされるのは、この洋子さんのエピソードがもう遠い昔のことだと気が付かされる瞬間である。本作は後半になると現代と回想のシーンが交互に現れるような構成になっている。読者はその時点で時間の経過に対して意識的になるが、決定的なのは次の部分だろう。

私は、多分、もうあのころの洋子さんの年齢を追い抜いているのだ。それなのに、あのときの洋子さんのような、母の平手打ちに怯まない強さももたず、人の自転車のサドルを平気で奪える残酷さもなく、他人を不幸に巻き込んでしまうような恋もしていないし、傷ついたことさえない。

薫と弟が洋子さんに会ったのは何年前だろうか。いや十何年前だろうか。洋子さんは今も生きているのだろうか。そもそも「父」や「母」と会ったりはしているのだろうか。

読者自身の記憶が日々美化されていくように、洋子さんとの日々が急激に輝かしいもののように思えてくるのは、それがもう二度と繰り返されない失われたものだからなのかもしれない。

僕は読み終わった瞬間に「いい小説だった!」「上手!」と思った。それは簡潔な文章でくどくなく、記憶を描いていると思えたからだ。とすれば僕がこの小説のことをよく覚えていなかったのは、適当にパラ読みしたからだろう。もしくは序盤で退屈に思って流してしまったか。

もったいない。

そんな感想を持って読む「ただ母親不在という体験が一種のノスタルジーとして語られているのはむしろこの作品の弱さのような気がするが。」との選評をどう消化するべきだろう?

しかしいくつかのエピソード、百万円やアイスのくだりはどうなのだろうと思ったし、本文最後の一文はまったく蛇足のように思われた。読者の印象に強く残る文章はその直前にあって、それで充分ではなかったのかと思う。

合わせて読みたい本

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サイドカーに犬の評判・口コミ・レビュー

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