【おすすめ】芥川賞受賞全作品を一覧であらすじを紹介します

芥川賞、正式名称:芥川龍之介賞(あくたがわりゅうのすけしょう)は、純文学の新人に与えられる文学賞です。

文藝春秋社内の日本文学振興会によって選考が行われ、一年に二回賞が授与されます。

同じく純文学を対象とした、野間文芸新人賞、三島由紀夫賞と並び「三冠」と称されることもあります。

日本では若手純文学作家の登竜門として大きく報道され、大江健三郎、安部公房、村上龍など時代を代表する作家を輩出しています。

おすすめ作品ランキング

長い記事なので、先におすすめランキングを紹介します!

  • 1位:安部公房「壁 S・カルマ氏の犯罪」
  • 2位:古井由吉「杳子」
  • 3位:庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」
  • 4位:郷静子「れくいえむ」
  • 5位:菊村到「硫黄島」
  • 5位:村上龍「限りなく透明に近いブルー」

作品年表リスト

第1回(1935年上半期) – 石川達三「蒼氓」

第1回芥川賞受賞作を復刊。秋田県横手市生まれの石川達三(1905~85年)が著した「蒼氓」は、社会派作家として知られた石川の原点ともいえる作品です。昭和初期のブラジル移民として全国から神戸の国立海外移民収容所に集まった民衆が、不安と期待の中で過ごす出港までの8日間を描き、35(昭和10)年創設の芥川賞に太宰治らの作品を抑えて輝きました。

その後、移民船内を描いた「南海航路」、辛苦に耐えながらたくましく働きだす「声無き民」を加えた3部作の長編として39年に発表、多くの人に読まれてきました。現在は絶版となっていますが、いま一度多くの人にこの名作に触れてもらおうと復刊。久米正雄らによる選評や菊池寛の賛辞を再録した「芥川賞経緯」のほか、日本ペンクラブ会長も務めた石川の足跡や略年譜を収載しています。

第2回(1935年下半期) – 該当作品なし(二・二六事件のため審査中止)

第3回(1936年上半期) – 小田嶽夫「城外」

第3回(1936年上半期) – 鶴田知也「コシャマイン記」

アイヌの精神と歴史を描破した名作を再発見 アイヌの若き部族長の和人との戦いとその死を叙事詩的文体で描いた芥川賞受賞作「コシャマイン記」を中心に珠玉の北方文学作品を精選。今甦る鶴田知也とその文学。

第4回(1936年下半期) – 石川淳「普賢」

中世フランスの女流詩人の伝記を書く主人公〈わたし〉。友人庵文蔵、非合法の運動をする文蔵の妹ユカリ――日常の様々な事件に捲込まれ、その只中に身を置く〈わたし〉の現実を、饒舌自在に描く芥川賞受賞作「普賢」のほか処女作「佳人」、「貧窮問答」など。和漢洋の比類ない学識と絶妙の文体、鋭い批評眼で知られた石川淳の文学原理を鮮明に表出する初期作品群4篇。

第4回(1936年下半期) – 冨澤有爲男「地中海」

第5回(1937年上半期) – 尾崎一雄「暢気眼鏡」他

洒脱で晴朗なおしゃべり.出世作となった「暢気眼鏡」以下一連の貧乏ユーモア小説から,身辺な虫の生態を観察した「虫のいろいろ」,そして老年の心境小説まで,尾崎一雄(1899-1983)の作品には一貫して,その生涯の大半を過した西相模の丘陵を思わせる爽やかな明るさがある.代表的な短篇15篇を編年順に収録.

第6回(1937年下半期) – 火野葦平「糞尿譚」

人は地を這い、河童は天翔ける 火野文学の「聖」と「俗」

出征前日まで書き継がれ、前線の玉井(火野)伍長に芥川賞の栄誉をもたらすと共に、国家の命による従軍報道、戦後の追放という、苛酷な道を強いた運命の1冊「糞尿譚」。郷里若松の自然と人への郷愁を、愛してやまない河童に託し夢とうつつの境を軽やかに飛翔させる火野版ファンタジー、「河童曼陀羅」。激動の昭和を生き抜く庶民的現実と芸術の至高性への憧憬――聖俗併せもつ火野文学の独自の魅力に迫る。

第7回(1938年上半期) – 中山義秀「厚物咲」

第8回(1938年下半期) – 中里恒子「乗合馬車」他

第9回(1939年上半期) – 半田義之「鶏騒動」

第9回(1939年上半期) – 長谷健「あさくさの子供」

第10回(1939年下半期) – 寒川光太郎「密獵者」

第11回(1940年上半期) – 高木卓「歌と門の盾」(受賞辞退)

第12回(1940年下半期) – 櫻田常久「平賀源内」

第13回(1941年上半期) – 多田裕計「長江デルタ」

第14回(1941年下半期) – 芝木好子「青果の市」

第15回(1942年上半期) – 該当作品なし

第16回(1942年下半期) – 倉光俊夫「連絡員」

第17回(1943年上半期) – 石塚喜久三「纏足の頃」

第18回(1943年下半期) – 東野邊薫「和紙」

第19回(1944年上半期) – 八木義徳「劉廣福」

第19回(1944年上半期) – 小尾十三「登攀」

第20回(1944年下半期) – 清水基吉「雁立」

第21回(1949年上半期) – 由起しげ子「本の話」

第21回(1949年上半期) – 小谷剛「確証」

第22回(1949年下半期) – 井上靖「闘牛」

ひとりの男の十三年間にわたる不倫の恋を、妻・愛人・愛人の娘の三通の手紙によって浮彫りにした恋愛心理小説『猟銃』。社運を賭した闘牛大会の実現に奔走する中年の新聞記者の情熱と、その行動の裏側にひそむ孤独な心情を、敗戦直後の混乱した世相のなかに描く芥川賞受賞作の『闘牛』。無名だった著者の名を一躍高からしめた初期の代表作2編の他『比良のシャクナゲ』を収録。

第23回(1950年上半期) – 辻亮一「異邦人」

第24回(1950年下半期) – 該当作品なし

第25回(1951年上半期) – 安部公房「壁 S・カルマ氏の犯罪」

自分と他人が、もう一つ別の自分、別の他人に変容する。
カフカ以上にカフカ的なグロテスクな世界――。

ある朝、突然自分の名前を喪失してしまった男。以来彼は慣習に塗り固められた現実での存在権を失った。自らの帰属すべき場所を持たぬ彼の眼には、現実が奇怪な不条理の塊とうつる。他人との接触に支障を来たし、マネキン人形やラクダに奇妙な愛情を抱く。そして……。
独特の寓意とユーモアで、孤独な人間の実存的体験を描き、その底に価値逆転の方向を探った芥川賞受賞の野心作。

第25回(1951年上半期) – 石川利光「春の草」他

第26回(1951年下半期) – 堀田善衛「広場の孤独」「漢奸」その他

第27回(1952年上半期) – 該当作品なし

第28回(1952年下半期) – 五味康祐「喪神」

豊臣秀次の剣の師で「夢想剣」を名乗る瀬名波幻雲齋とその娘・ゆき、そして幻雲齋が父の仇でありながら、門下生となって修行を積む松前哲郎太重春。奇妙な3人の絆は、やがて哲郎太とゆきが契りを結ぶまでに深まっていく。
そんななか、哲郎太は身重のゆきを残して武者修行の旅に出ようとするが――。
第28回芥川賞に輝いた出世作「喪神」のほか、柳生流新陰流正統を継いだ連也斎とライバルとの決闘を描く「柳生連也齋」、剣豪が巨人軍の強打者として大活躍する異色作「一刀齋は背番號6」など、剣を題材にした珠玉の11篇。

第28回(1952年下半期) – 松本清張「或る『小倉日記』伝」

史実に残っていない小倉在住時の森鴎外の足跡を10年の歳月をかけてひたむきに調査する田上耕作とその母。病、貧乏、偏見、苦悩の中で、衰弱が進んでくる(「或る『小倉日記』伝」)。自らの美貌と才気をもてあまし日々エキセントリックになるぬい。夫にも俳句にも見放され、「死」だけが彼女をむかえてくれた(「菊枕」)。昭和28年芥川賞を受けた表題作ほか、孤独との苛酷な戦いをテーマにした、巨匠の代表作品集。

第29回(1953年上半期) – 安岡章太郎「悪い仲間・陰気な愉しみ」

初期作品世界デビュー作「ガラスの靴」芥川賞受賞「悪い仲間」「陰気な愉しみ」他、安岡文字一つの到達点「海辺の光景」への源流・自己形成の原点をしなやかに示す初期短篇集。幼少からの孤立感、“悪い仲間”との交遊、“やましさ”の自覚、父母との“関係”のまぎらわしさ、そして脊椎カリエス。様々な難問のさなかに居ながら、軽妙に立ち上る存在感。精妙な“文体”によって捉えられた、しなやかな魂の世界。

第30回(1953年下半期) – 該当作品なし

第31回(1954年上半期) – 吉行淳之介「驟雨」その他

見知らぬ女がやすやすと体を開く奇怪な街。空襲で両親を失いこの街に流れついた女学校出の娼婦あけみと汽船会社の社員元木との交わりをとおし、肉体という確かなものと精神という不確かなものとの相関をさぐった「原色の街」。散文としての処女作「薔薇販売人」、芥川賞受賞の「驟雨」など全5編。性を通じて、人間の生を追究した吉行文学の出発点をつぶさにつたえる初期傑作集。

第32回(1954年下半期) – 小島信夫「アメリカン・スクール」

占領下の時代に、アメリカ人の学校を参観しに出かけた日本の中学校教員の、貧しく、それゆえにも滑稽な姿を描いて、芥川賞を受賞した「アメリカン・スクール」。ほかに、現代の複雑な世相を、批評精神に貫かれた知的感覚で捉え、人間ドラマを深味のあるユーモアと鋭く深く屈折した諷刺で描いた小島文学初期の傑作「汽車の中」「燕京大学部隊」「小銃」「星」「微笑」「馬」「鬼」を収める。

第32回(1954年下半期) – 庄野潤三「プールサイド小景」

突然解雇されて子供とプールで遊ぶ夫とそれを見つめる妻――ささやかな幸福の脆さを描く芥川賞受賞作「プールサイド小景」等7編。

第33回(1955年上半期) – 遠藤周作「白い人」

『海と毒薬』『沈黙』へと繋がっていく、遠藤周作の主題。
人間の心に巣食う「悪」と「赦し」を描いた芥川賞受賞作。

フランス人でありながらナチのゲシュタポの手先となった主人公は、ある日、旧友が同僚から拷問を受けているのを目にする。神のため、苦痛に耐える友。その姿を見て主人公は悪魔的、嗜虐的な行動を取り、己の醜態に酔いしれる(「白い人」)。神父を官憲に売り「キリスト」を試す若きクリスチャン(「黄色い人」)。
人間の悪魔性とは何か。神は誰を、何を救いたもうのか。芥川賞受賞。

第34回(1955年下半期) – 石原慎太郎「太陽の季節」

女とは肉体の歓び以外のものではない。友とは取引の相手でしかない……退屈で窮屈な既成の価値や倫理にのびやかに反逆し、若き戦後世代の肉体と性を真正面から描いた「太陽の季節」。最年少で芥川賞を受賞したデビュー作は戦後社会に新鮮な衝撃を与えた。人生の真相を虚無の底に見つめた「灰色の教室」、死に隣接する限界状況を捉えた「処刑の部屋」他、挑戦し挑発する全5編。

第35回(1956年上半期) – 近藤啓太郎「海人舟」

第三の新人、と称された戦後新世代の作家達は、のちに、文壇の中心的存在となっていく。十人十作品を精選。阿川弘之「年年歳歳」、遠藤周作「アデンまで」、小沼丹「白孔雀のいるホテル」、近藤啓太郎「海人舟」、小島信夫「アメリカン・スクール」、島尾敏雄「湾内の入江で」、庄野潤三「プールサイド小景」、三浦朱門「冥府山水図」、安岡章太郎「ガラスの靴」、吉行淳之介「驟雨」収録。

第36回(1956年下半期) – 該当作品なし

第37回(1957年上半期) – 菊村到「硫黄島」

昭和文学史に名を残す不朽の戦争文学
新聞記者の主人公のもとに一人の青年が訪ねる。投降前に硫黄島の洞窟に埋めた日記をとりにいきたいから、記事にしてほしいという。米軍当局の許可を得、島に渡るが、どういうわけか現地で自殺してししまう。

戦争を題材に生と死、戦争が日常に与える影響を描いた純文学作品ですが、ミステリ仕立てになっています。作者はのちに推理小説を多く手掛けており、その第一歩と読めるかもしれません。

題材が題材だけに重く重厚感のある作品です。それでも読後感はむしろスッキリとさえしている。その辺りに作者の技量を感じますし、満足感も得られます。

もっと読む【おすすめ】菊村到の全作品を一覧であらすじを紹介します

第38回(1957年下半期) – 開高健「裸の王様」

2019年は開高健、没後30年。
偽善と虚無に満ちた社会を哄笑する、凄まじいまでのパワーに溢れた名作4篇。

とつじょ大繁殖して野に街にあふれでたネズミの大群がまき起す大恐慌を描く「パニック」。打算と偽善と虚栄に満ちた社会でほとんど圧殺されかかっている幼い生命の救出を描く芥川賞受賞作「裸の王様」。ほかに「巨人と玩具」「流亡記」。
工業社会において人間の自律性をすべて咬み砕きつつ進む巨大なメカニズムが内蔵する物理的エネルギーのものすごさを、恐れと驚嘆と感動とで語る。

第39回(1958年上半期) – 大江健三郎「飼育」

屍体処理室の水槽に浮き沈みする死骸群に託した屈折ある抒情「死者の奢り」、療養所の厚い壁に閉じこめられた脊椎カリエスの少年たちの哀歌「他人の足」、黒人兵と寒村の子供たちとの無残な悲劇「飼育」、バスの車中で発生した外国兵の愚行を傍観してしまう屈辱の味を描く「人間の羊」など6編を収める。学生時代に文壇にデビューしたノーベル賞作家の輝かしい芥川賞受賞作品集。

第40回(1958年下半期) – 該当作品なし

第41回(1959年上半期) – 斯波四郎「山塔」

第42回(1959年下半期) – 該当作品なし

第43回(1960年上半期) – 北杜夫「夜と霧の隅で」

もう一つのアウシュヴィッツ――「安死術」。
ナチスの指令に抵抗する精神科医たちの苦悩と苦闘。芥川賞受賞作を含む、初期傑作5編。

第二次大戦末期、ナチスは不治の精神病者に安死術を施すことを決定した。その指令に抵抗して、不治の宣告から患者を救おうと、あらゆる治療を試み、ついに絶望的な脳手術まで行う精神科医たちの苦悩苦闘を描き、極限状況における人間の不安、矛盾を追究した芥川賞受賞の表題作。他に「岩尾根にて」「羽蟻のいる丘」等、透明な論理と香気を帯びた抒情が美しく融合した初期作品、全5編。

第44回(1960年下半期) – 三浦哲郎「忍ぶ川」

貧窮の中に結ばれた夫婦の愛を高らかにうたって芥川賞受賞の表題作ほか「初夜」「帰郷」「団欒」「恥の譜」「幻燈画集」「驢馬」を収める。

第45回(1961年上半期) – 該当作品なし

第46回(1961年下半期) – 宇能鴻一郎「鯨神」

第47回(1962年上半期) – 川村晃「美談の出発」

第48回(1962年下半期) – 該当作品なし

第49回(1963年上半期) – 後藤紀一「少年の橋」

第49回(1963年上半期) – 河野多惠子「蟹」

中年女性の屈折した心理を描く「蟹」他6篇。

外房海岸を舞台に、小学一年生の甥と蟹を探し求めて波打ち際で戯れる中年女性の屈折した心理を描き、第49回芥川賞を受賞した「蟹」。

ほかに、知人の子供や道端で遊ぶ子供に異常な関心を示す、子供のない女性の内面を掘り下げた「幼児狩り」。

夫婦交換による男女の愛の生態を捉えた「夜を往く」、「劇場」など、日常に潜む欺瞞を剥ぎ取り、その“歪んだ愛のカタチ”から、よりリアルな人間性の抽出を試みた、筆者初期の短篇6作を収録。

第50回(1963年下半期) – 田辺聖子「感傷旅行 センチメンタル・ジャーニィ」

党員のケイを気まぐれに愛し、いつか、熱烈に傾倒し破れ去る有似子。愛とは一体何なのか? 昭和39年度の芥川賞受賞作「感傷旅行」をはじめ、裸のままの人間を真向から描き続ける著者のやさしさが滲みでている次の好短篇を併せ収む。「大阪無宿」「女運長久」「鬼たちの声」「山家鳥虫歌」「喪服記」「容色」「とうちゃんと争議」

第51回(1964年上半期) – 柴田翔「されどわれらが日々──」

何一つ確かなもののない時代を懸命に生きようとした二人の男女を描き、60年代~70年代にヒットした青春文学の大ベストセラー

第52回(1964年下半期) – 該当作品なし

第53回(1965年上半期) – 津村節子「玩具」

【第53回芥川賞受賞作収録】寸暇を惜しんで、ひたすら小説を書き続ける売れない同人誌作家の夫。そして、その夫の心の動きに一喜一憂しながら、こまやかな愛情をふりそそぐが顧みられぬ妻。破局寸前にありながら、奇妙なバランスを保つ夫婦関係の機微を、質実で丹念に書き込んだ、第53回芥川賞受賞作品「玩具」他、著者独自の文学世界を構築する四篇を収録。

第54回(1965年下半期) – 高井有一「北の河」

昭和20年、すでに夫を喪い、家も戦火に焼かれてしまった母子が、遠縁を頼って東北の寒村に身を寄せる。だが、そこは安住の地ではなかった。
頼るべき知己もおらず、終戦後は都会に戻るという希望も断ち切られ、迫りくる厳しい冬を前に、母は自ら死を選ぶ……。ノンフィクション作品のような感情を抑えた筆致が、かえって読む人の想像を掻き立てる。
第54回芥川賞に輝いた表題作のほか、やはり身近な人の死をテーマにした「夏の日の影」「霧の湧く谷」、大学の二部に通う学生たちの葛藤を描いた「浅い眠りの夜」の三篇を収録。

第55回(1966年上半期) – 該当作品なし

第56回(1966年下半期) – 丸山健二「夏の流れ」

平凡な家庭を持つ刑務官の平穏な日常と、死を目前にした死刑囚の非日常を対比させ、死刑執行日に到るまでの担当刑務官、死刑囚の心の動きを緊迫感のある会話と硬質な文体で簡潔に綴る芥川賞受賞作「夏の流れ」、稲妻に染まるイヌワシを幻想的に描いた「稲妻の鳥」、ほかに「その日は船で」「雁風呂」「血と水の匂い」「夜は真夜中」「チャボと湖」など初期の代表作7篇を収録。

第57回(1967年上半期) – 大城立裕「カクテル・パーティー」

米国統治下の沖縄で日本人,沖縄人,中国人,米国人の四人が繰り広げる親善パーティー.そのとき米兵による高校生レイプ事件が起こり,国際親善の欺瞞が暴露されていく――.沖縄初の芥川賞受賞の表題作のほか,「亀甲墓」「棒兵隊」「ニライカナイの街」そして日本語版初公表の「戯曲 カクテル・パーティー」をふくむ傑作短編全5編を収録.

第58回(1967年下半期) – 柏原兵三「徳山道助の帰郷」

第59回(1968年上半期) – 丸谷才一「年の残り」

69歳の病院長が最近しきりに思うのは、遠い若き日々と自らの老い、そして死んでしまった友人知人たち。患者の少年を診るにつけ、その昔縁談のあった少年の美貌の伯母を思い出す。死が淡く濃く支配する、人生の年輪が刻み込んだ不可知の世界を、丸谷才一ならではの巧緻きわまりない小説作法と仄かなユーモアで描き出す、第59回芥川賞受賞作の表題作。他に、「川のない街で」「男ざかり」「思想と無思想の間」の佳作三篇を収録。いずれも小説の醍醐味を味わえる、珠玉の短篇集。

第59回(1968年上半期) – 大庭みな子「三匹の蟹」

存在の孤独と愛の倦怠のただ中にある「現代の生」。……そのこわれてしまった姿を、乾いた抒情のうちに残酷に啓示して、芥川賞を受けた「三匹の蟹」。それに、三部作〈構図のない絵〉〈虹と浮橋〉〈蚤の市〉より成る、もの憂さ漂う青春への訣別の詩「青い落葉」を収めた、大庭文学の不朽の名作。

第60回(1968年下半期) – 該当作品なし

第61回(1969年上半期) – 庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」

学生運動の煽りを受け、東大入試が中止になるという災難に見舞われた日比谷高校三年の薫くん。そのうえ愛犬が死に、幼馴染の由美と絶交し、踏んだり蹴ったりの一日がスタートするが――。真の知性とは何か。戦後民主主義はどこまで到達できるのか。
青年の眼で、現代日本に通底する価値観の揺らぎを直視し、今なお斬新な文体による青春小説の最高傑作。「あわや半世紀のあとがき」収録。

第61回(1969年上半期) – 田久保英夫「深い河」

朝鮮戦争中の九州の兵站基地で、置きざりにされた徴用馬の世話をする青年の苦悩に迫る、芥川賞受賞作「深い河」。親戚の恋愛騒動を契機に訪れた、夏の下町の人間模様を描く、川端康成賞受賞作「辻火」。出生地の曖昧さに気づいた初老の男の地番を探す過去への旅を追った「生魄」。ほか、初期から晩年に至る7篇を収録。ストイシズムを底に秘め、気品ある世界を創った「短篇の名手」田久保英夫の、魅力溢れる代表作集。

第62回(1969年下半期) – 清岡卓行「アカシヤの大連」

第63回(1970年上半期) – 吉田知子「無明長夜」

“御本山”の黒い森をみつめて、白い闇の道を歩いた女の20年……。一種底の知れない、暗く混沌とした世界の中で、病める魂の咆哮を聞く芥川賞受賞作『無明長夜』。“捨てる”ことを根源に、自らの道を開こうとした著者の、戦後の出発を語る『豊原』。ほかに『寓話』『終りのない夜』など、新しい世代の世界とイメージを持って、多様な才能を遺憾なく発揮した作品群。ほか『静かな夏』『生きものたち』『わたしの恋の物語』全7編を収める。

第63回(1970年上半期) – 古山高麗雄「プレオー8の夜明け」

「生きていればこんなめにもあう」。理不尽なことも呑み込まなければ「普通の人間」は生きていかれない。22歳で召集、フィリピン、ビルマ、カンボジアなどを転戦、ラオスの俘虜収容所に転属され敗戦となり戦犯容疑で拘留。著者の冷徹な眼が見た人間のありようは、苛烈な体験を核に、清澄なユーモアと哀感で描かれた。芥川賞受賞の表題作ほか「白い田圃」「蟻の自由」「七ヶ宿村」など代表作9篇。

第64回(1970年下半期) – 古井由吉「杳子」

“杳子は深い谷底に一人で坐っていた。”
神経を病む女子大生〈杳子〉との、山中での異様な出会いに始まる、孤独で斬新な愛の世界……。

現代の青春を浮彫りにする芥川賞受賞作「杳子」。都会に住まう若い夫婦の日常の周辺にひろがる深淵を巧緻な筆に描く「妻隠」。卓抜な感性と濃密な筆致で生の深い感覚に分け入り、現代文学の新地平を切り拓いた著者の代表作二編を収録する。

第65回(1971年上半期) – 該当作品なし

第66回(1971年下半期) – 李恢成「砧をうつ女」

日本の敗戦による、サハリンからの辛うじての帰国。劇変する状況、分断された祖国、一家離散の家族の悲劇。群像新人賞受賞の出世作「またふたたびの道」および、母を描く感動の名作で芥川賞受賞作「砧をうつ女」、父を描く「人面の大岩」。インターナショナルな視座から時代に正面し、たじろがぬ、常に真摯に力走する、在日作家・李恢成の初期秀作群。

第66回(1971年下半期) – 東峰夫「オキナワの少年」

戦後の日本から取残され病める部分を集約して担わされたオキナワ。無垢な少年の眼が捉えたオキナワの現実。表題作は、広く話題を呼んだ第六十六回芥川賞受賞作品である。併録作品の「島でのさようなら」は集団就職の船に乗る少年の苦い胸のうちを切実に描き、「ちゅらかあぎ」は、住み込み工員、浮浪者、日雇いなどなど、転々と居場所を変え、都市の底辺をさまようオキナワ出身の少年の、孤独と憧憬を緻密に綴る。これは著者初めての書き下し作品である。

第67回(1972年上半期) – 畑山博「いつか汽笛を鳴らして」

二十五歳・工員の肉体的劣等感を正面にすえ、独特のスタイルで感動を呼んだ芥川賞受賞作。「いつか汽笛を鳴らして」「けものが撃たれるとき」「こま」「はにわの子たち」収録。

第67回(1972年上半期) – 宮原昭夫「誰かが触った」

第68回(1972年下半期) – 山本道子 「ベティさんの庭」

「樹も草も鳥も風も空も、みんなみんな、わたしのものではない。どこを見廻してもわたしの肌にぴったり寄りそってくるものはない」……。異国に嫁いで二十年、日本の戦争花嫁〈ベティさん〉の切々たる望郷の念を描く芥川賞受賞の表題作をはじめ、『魔法』『わがままな幽霊』など、華麗なイメージと静謐なタッチで、独自の文学空間を築く話題の女流作家の傑作短編、ほかに『魔法』『雨の椅子』『老人の鴨』『わがままな幽霊』の4編を収録する。

第68回(1972年下半期) – 郷静子「れくいえむ」

死への道はあまりにも近く、生への道はあまりにも遠い……あの太平洋戦争のさなか、ひたすら“立派な軍国少女”になろうと努めた女学生の青春がここにある。激しい空襲をうけ、次々にかけがえのない肉親や友人を失いながら、なお「お国のため、戦争に勝つため」に生きた主人公、大泉節子。彼女の努力の行きつく先は、結局愛をも美をも滅ぼしつくすことでしかない。そのひたむきな純粋さ、無残さが読者の心を深くとらえた芥川賞受賞作。

第69回(1973年上半期) – 三木卓「鶸」

第70回(1973年下半期) – 野呂邦暢「草のつるぎ」

「言葉の風景画家」と称される著者が、硬質な透明感と静謐さの漂う筆致で描く青春の焦燥。生の実感を求め自衛隊に入隊した青年の、大地と草と照りつける太陽に溶け合う訓練の日々を淡々と綴った芥川賞受賞作「草のつるぎ」、除隊後ふるさとに帰り、友人と過ごすやるせない日常を追う「一滴の夏」――長崎・諫早の地に根を下ろし、42歳で急逝した野呂邦暢の、初期短篇を含む5篇を収録。

第70回(1973年下半期) – 森敦「月山」

出羽の霊山・月山の山ふところにある破れ寺に、ひとりの男がたどりつく。炉ばたでひたすら割り箸を作り続ける寺の男、女たちによる念仏のあつまり、庭を見せようと豪雪にもかかわらず雪かきにはげむ老人……。雪に閉ざされた山間のむらで、不思議な村人たちと暮しをともにするこの男が知った此の世ならぬ幽明の世界。芥川賞受賞作「月山」と、その姉妹篇ともいうべき「天沼」、著者の〈月山への道〉が浮き彫りにされる短篇集「鳥海山」を収録。

第71回(1974年上半期) – 該当作品なし

第72回(1974年下半期) – 日野啓三「あの夕陽」

最初の小説「向う側」から近作「示現」まで日野文学の精髄を示す8篇を収録。 ベトナム戦争中、失踪した記者の行方を追う著者初の小説「向う側」、自らの離婚体験を描いた芥川賞受賞作「あの夕陽」等初期作品から、都市の中のイノセンスを浮上させる〈都市幻想小説〉の系譜、さらには癌体験を契機に、生と死の往還、自然との霊的交感を主題化した「示現」まで8作品を収録。日野啓三の文学的歩みの精髄を1冊に凝縮。

第72回(1974年下半期) – 阪田寛夫「土の器」

肩の骨を折りながらも礼拝のオルガンを弾き通した八十歳の母を支えていたのは何か。その魂のありかをたどる芥川賞受賞作と、心温かに家族を描く四つの作品。

第73回(1975年上半期) – 林京子「祭りの場」

如何なれば膝ありてわれを接(うけ)しや──。長崎での原爆被爆の切実な体験を、叫ばず歌わず、強く抑制された内奥の祈りとして語り、痛切な衝撃と深甚な感銘をもたらす、林京子の代表的作品。群像新人賞・芥川賞受賞の「祭りの場」、「空罐」を冒頭に置く連作「ギヤマン ビードロ」を併録。

第74回(1975年下半期) – 中上健次「岬」

この作家の郷里である紀州を舞台にのがれがたい血の宿命の中に閉じこめめれた、一青年の渇望と愛憎を、鮮烈な文体で描き出し、広く感動を呼んだ第74回芥川賞受賞作。
この小説は、著者独自の哀切な旋律を始めて文学として定着させた記念碑的作品とされ、広く感動を呼んだ。この作品では多くの登場人物が出てくるが、その多くは血縁関係のある人物であり、複雑に混ざり合った男女の性交の結果である。主人公はその複雑な血縁関係を恨み、父親を恨み、報復してやるのだと向かったのは妹の元であった。その憎たらしい父親の血は確かに自分の中に塊として存在していた・・・。表題作のほか、「火宅」「浄徳寺ツアー」など初期の力作三篇も収めている。

第74回(1975年下半期) – 岡松和夫「志賀島」

終戦の年、十二歳の主人公は海洋訓練に加わって、軍隊の苛酷さをかいま見る。時代の重圧に耐える少年たちを描く芥川賞受賞作。

第75回(1976年上半期) – 村上龍「限りなく透明に近いブルー」

米軍基地の街・福生のハウスには、音楽に彩られながらドラッグとセックスと嬌声が満ちている。そんな退廃の日々の向こうには、空虚さを超えた希望がきらめく――。著者の原点であり、発表以来ベストセラーとして読み継がれてきた、永遠の文学の金字塔が新装版に!

第76回(1976年下半期) – 該当作品なし

第77回(1977年上半期) – 三田誠広「僕って何」

田舎から上京し、学園紛争真っ只中の大学に入学した僕。何も知らない母親っ子の僕が、いつの間にかセクトの争いや内ゲバに巻き込まれ、年上のレイ子と暮らすことになる……。芥川賞受賞の永遠の青春小説。

第77回(1977年上半期) – 池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」

第78回(1977年下半期) – 宮本輝「螢川」

土佐堀川に浮かんだ船に母、姉と暮らす不思議な少年喜一と小二の信雄の短い交流を描いて感動を呼んだ太宰治賞受賞の傑作「泥の河」。北陸富山の春から夏への季節の移ろいの中に中三の竜夫の、父の死と淡い初恋を螢の大群の美しい輝きの中に描いた芥川賞受賞の名編「螢川」。

第78回(1977年下半期) – 高城修三 「榧の木祭り」

第79回(1978年上半期) – 高橋揆一郎「伸予」

五十歳近い未亡人の元教師が、かつて特別の思いを抱いていた教え子と再会した。彼女の一生にはこの恋しかなかったのか。抜群の語り口で芥川賞を受賞した表題作ほか二篇。

第79回(1978年上半期) – 高橋三千綱「九月の空」

剣道へのひたむきな想い。性への憧れと反発。家族への理由のない苛立ち。十五歳の少年勇の心は揺れ動きながらも、今、大きくはばたこうとしている…。青春を爽やかに謳いあげ芥川賞受賞!

第80回(1978年下半期) – 該当作品なし

第81回(1979年上半期) – 重兼芳子「やまあいの煙」

第81回(1979年上半期) – 青野聰「愚者の夜」

第82回(1979年下半期) – 森禮子「モッキングバードのいる町」

アメリカ中部の田舎町で、退役軍人の夫と暮らす圭子は、年のせいか猛烈に望郷の念に駆られることが多くなる。彼女をはじめ、若い男との惨めな情事に溺れるスウや、教育熱心なあまり、子殺しの罪を犯したジューンといった日本人妻たちの夢と寂寥、愛と孤独を描き、日本人の心性を問う。芥川賞受賞作。ほかに『離島狂騒曲』『遊園地暮景』『風を捉える』3編を収録。

第83回(1980年上半期) – 該当作品なし

第84回(1980年下半期) – 尾辻克彦「父が消えた」

表題作は、父の遺骨を納めるべく売り出された墓地を見に行く青年の奇妙な一日をポップ・アート風に描いて注目を浴びた第84回芥川賞受賞作。他にカメラ狂のフェティシズムを考察する「星に触わる」、晴れた日に雨樋を買うことこそラディカルだと思う男を描く「自宅の蠢き」、銭湯の出前をとるという奇想天外な世界を描く「お湯の音」、友人から屋上をもらった男の日常生活を垣間見る「猫が近づく」。赤瀬川原平の別名を持つ著者の、初期の秀作五篇を収録した純文学短篇集。

第85回(1981年上半期) – 吉行理恵「小さな貴婦人」

死んでしまった猫〈雲〉を愛惜する夢想的で自閉的な中年女性〈私〉、「猫の殺人」という童話を書く年老いた女流詩人G、そして優しくも威厳に満ちた猫たち――。悪意に満ちた外界に傷つけられる繊細な存在の交感を詩的散文に結晶させた、優雅で奇妙な連作小説集。「猫の殺人」「雲とトンガ」「赤い花を吐いた猫」「窓辺の雲」「小さな貴婦人」の5編を収める。表題作で芥川賞を受賞。

第86回(1981年下半期) – 該当作品なし

第87回(1982年上半期) – 該当作品なし

第88回(1982年下半期) – 加藤幸子 「夢の壁」

終戦前後、少女期を北京で過ごした佐智が見たことは、少女の心をひとまわり大きくした――戦争で母親を亡くした悲しみを背負いこむ中国人の少年と佐智との無垢な心の交流を描いた芥川賞受賞の「夢の壁」と、国民学校が消滅した夏の一日、SH学院の利発な少女・宋梅里との友情、両親と共に日本に帰る1947年の船中の出来事など、佐智の目と心を通して活写する「北京海棠の街」を収録。

第88回(1982年下半期) – 唐十郎「佐川君からの手紙」

オランダ人の若い女性を殺した、という手紙を犯人の日本人男性から受け取った作家は、事件の現場であるパリを訪れることになる。パリ人肉殺人事件の真相に迫った芥川賞受賞作品にその後日譚を加えた完全版。

第89回(1983年上半期) – 該当作品なし

第90回(1983年下半期) – 笠原淳「杢二の世界」

第90回(1983年下半期) – 高樹のぶ子「光抱く友よ」

奔放な不良少女との出会いを通して、初めて人生の「闇」に触れた17歳の女子高生の揺れ動く心を清冽な筆で描く芥川賞受賞作ほか2編。

第91回(1984年上半期) – 該当作品なし

第92回(1984年下半期) – 木崎さと子「青桐」

乳癌に罹りながら、一切の医療を拒む叔母とそれを看取る姪。一本の青桐の繁る北陸の旧家での、滅びてゆく肉体と蘇える心の交叉を描く芥川賞受賞作。「白い原」を併録。

第93回(1985年上半期) – 該当作品なし

第94回(1985年下半期) – 米谷ふみ子「過越しの祭」

第95回(1986年上半期) – 該当作品なし

第96回(1986年下半期) – 該当作品なし

第97回(1987年上半期) – 村田喜代子「鍋の中」

その夏、少女は大人の秘密にふれ、生きることのはかなさ哀しみを知った。一夏を共にすごす祖母と孫たちを描き、「家族」について想う

第98回(1987年下半期) – 池澤夏樹「スティル・ライフ」

第98回(1987年下半期) – 三浦清宏「長男の出家」

第99回(1988年上半期) – 新井満 「尋ね人の時間」

“失われたもの”を求めて尋ねさすらうカメラマンと女子大生の、実を結び得ぬ“絶望の愛”。現代人の心の空洞を“引き算の美学”で描いて衝撃を呼んだ芥川賞受賞作。

第100回(1988年下半期) – 南木佳士「ダイヤモンドダスト」

火の山を望む高原の病院。そこで看護士の和夫は、様々な過去を背負う人々の死に立ち会ってゆく。病癒えず逝く者と見送る者、双方がほほえみの陰に最期の思いの丈を交わすとき、時間は結晶し、キラキラと輝き出す…。絶賛された芥川賞受賞作「ダイヤモンドダスト」の他、短篇三本、また巻末に加賀乙彦氏との対談を収録。

第100回(1988年下半期) – 李良枝「由煕」

在日朝鮮人として生まれた著者の、37歳で夭逝した魂の記録。差別と偏見の苦しい青春時代を越えて、生国日本と母国韓国との狭間に言葉を通してのアイデンティティを探し求めてひたすらに生きた短い一生の鮮烈な作品群。芥川賞受賞の「由熙」、そして全作品を象徴するかのような処女作「ナビ・タリョン」(嘆きの蝶)、「かずきめ」「あにごぜ」を収録、人生の真実を表現。

第101回(1989年上半期) – 該当作品なし

第102回(1989年下半期) – 大岡玲「表層生活」

青年が人工頭脳を駆使して人間を支配しようと企てた時、何が起こったか? 現代に潜む前人未到のテーマに挑んだと評された芥川賞受賞作。「わが美しのポイズンヴィル」を収録。

第102回(1989年下半期) – 瀧澤美恵子「ネコババのいる町で」

わずか三歳でロスアンジェルスから一人、日本へ送られた恵里子は、実の母に捨てられたショックで失語症に陥る。家にいるのは気性のはっきりした叔母と口さがない祖母のふたり。隣家には「ネコババ」と祖母が呼ぶ女性。ネコババの家にはやさしいおじさんと「ネコバン」。行き場のない幼い少女の心をなぐさめるのはネコたち。生みの親が不在の家庭で、恵理子は人間のきずなというものを学んで成長していくが……。芥川賞受賞の表題作ほか二篇を収録。

第103回(1990年上半期) – 辻原登「村の名前」

中国のはるか奥地を仕事で旅する日本人商社マンが、桃源郷の名をもつ小さな村にふと迷い込んだ。優美な村の名前からは想像もつかない奇怪な出来事が、彼の周りで次々と起こる。謎の溺死体、犬肉を食らう饗宴、つきまとう正体不明の男達……。彼も同行の日本人も、次第に調子がおかしくなってゆく。桃花の薫りがする魅力的な土地の女に導かれるように、知らず知らず村の秘密へと近づき、ついに彼が見た“真の村の姿”とは。話題の第103回芥川賞受賞作と他一篇を収録。

第104回(1990年下半期) – 小川洋子「妊娠カレンダー」

出産を間近に控えた姉に、毒に染まっているだろうグレープフルーツのジャムを食べさせる妹……妊娠をきっかけとした心理と生理の繊細、微妙なゆらぎをみごとに描く、第104回芥川賞を受賞した「妊娠カレンダー」。住人が消えてゆく?謎に包まれた寂しい学生寮の物語「ドミトリイ」、小学校の給食室に魅せられた男の告白「夕暮れの給食室と雨のプール」。透きとおった悪夢のようにあざやかな三篇は、すべて小川洋子の独特な静謐な世界を堪能できる珠玉の短篇集です。

第105回(1991年上半期) – 辺見庸「自動起床装置」

彼は涼しい面立ちをした「起こし名人」だった……。通信社の仮眠室を舞台に、眠りから文明の危機を鋭く抉り出した芥川賞受賞作他一篇。「自動起床装置」「迷い旅」収録。

第105回(1991年上半期) – 荻野アンナ「背負い水」

真っ赤な嘘というけれど。嘘に色があるならば、薔薇色の嘘をつきたいと思う──笑いがはじけ、才気が回転する、大型新人の話題作

第106回(1991年下半期) – 松村栄子「至高聖所アバトーン」

第107回(1992年上半期) – 藤原智美「運転士」

時刻ヨーシ、方向切替ヨーシ、発車。電車はスピードを急速に上げ、間もなく軌道が緩やかに下り始め、徐々に傾斜がきつくなっていく。傾斜角1000分の35。都市と都市生活者の様々な貌(かお)をトンネルの闇と駅の輝きが妖しく繋ぐ。カミソリのように光る二本のレールの上に現代を官能的に描く。第107回芥川賞受賞。

第108回(1992年下半期) – 多和田葉子「犬婿入り」

多摩川べりのありふれた町の学習塾は“キタナラ塾”の愛称で子供たちに人気だ。北村みつこ先生が「犬婿入り」の話をしていたら本当に〈犬男〉の太郎さんが押しかけてきて奇妙な2人の生活が始まった。都市の中に隠された民話的世界を新しい視点でとらえた芥川賞受賞の表題作と「ペルソナ」の2編を収録。

第109回(1993年上半期) – 吉目木晴彦「寂寥郊野」

朝鮮戦争で来日したリチャードと結婚して、幸恵がルイジアナ州バトンルージュに暮らしはじめて30年。その幸恵の言動崩壊が始まり、症状は目に見えて進んでいく。夫は妻の鬱病に心あたりがないでもない。国際結婚と老いと孤立を描く、現代文学の秀作。芥川賞受賞作。1997年、「ユキエ」として、脚本・新藤兼人、監督・松井久子で映画化された、名作。

第110回(1993年下半期) – 奥泉光「石の来歴」

レイテで戦友から聞かされた言葉によって岩石に魅せられた男に訪れる苦難。夢と現が交錯する中で妻は狂気に誘われ、子は死に奔る.

第111回(1994年上半期) – 室井光広「おどるでく」

大学ノート7冊分の日記を見つけたのは去年の6月の終り、帰省先の生家の2階の隅でだった。日記は、日本語の内容がロシア文字で表音化されていた。ロシア字日記の“翻訳”から灸りだされる「おどるでく」の正体とは?忘却されたものたちの声なき声を描く表題作ほか、1篇を収録。

第111回(1994年上半期) – 笙野頼子「タイムスリップ・コンビナート」

海芝浦に向かう「私」を待ち受けるのは浦島太郎、レプリカント、マグロの目玉…。たどり着いた先はオキナワか? 時間と空間はとめどなく歪み崩れていく。言葉が言葉を生み、現実と妄想が交錯する。哄笑とイメージの氾濫の中に、現代の、そして「私」の実相が浮び上がる。話題騒然の第111回芥川賞受賞作の他、二篇を収録。

第112回(1994年下半期) – 該当作品なし

第113回(1995年上半期) – 保坂和志「この人の閾」

第114回(1995年下半期) – 又吉栄喜「豚の報い」

突如スナックに闖入してきた豚の厄を払うため正吉と三人の女は島に向かった。芥川賞受賞の表題作と「背中の夾竹桃」を収録する

第115回(1996年上半期) – 川上弘美「蛇を踏む」

藪の中で踏んでしまった蛇が女になり、わたしの部屋に棲みついた。夜うちに帰ると「あなたのお母さんよ」と料理を作り、ビールを冷やして待っている──「蛇を踏む」。うちの家族はよく消えるが、上の兄が縁組した家族はよく縮む──「消える」。背中が痒いと思ったら、夜が少しばかり食い込んでいるのだった──「惜夜記(あたらよき)」。神話の骨太な想像力とおとぎ話のあどけない官能性を持った川上弘美の魅力を、初期作ならではの濃さで堪能できる、極上の「うそばなし」3篇。

第116回(1996年下半期) – 辻仁成「海峡の光」

廃航せまる青函連絡船の客室係を辞め、函館で刑務所看守の職を得た私の前に、あいつは現れた。少年の日、優等生の仮面の下で、残酷に私を苦しめ続けたあいつが。傷害罪で銀行員の将来を棒にふった受刑者となって。そして今、監視する私と監視されるあいつは、船舶訓練の実習に出るところだ。光を食べて黒々とうねる、生命体のような海へ……。海峡に揺らめく人生の暗流。芥川賞受賞。

第116回(1996年下半期) – 柳美里「家族シネマ」

第116回芥川賞受賞。
日本文芸界最強最大の新人が放つ本格純文学。
こなごなに砕け散ったメンバーがつくろうかりそめの家族の映像。家族を演出することが家族なのか。現代の孤独な人々の喧騒を鋭い文体で描ききる大型新人の問題作。

第117回(1997年上半期) – 目取真俊「水滴」

ある日、右足が腫れて水があふれ出た。夜な夜なそれを飲みにくるのは誰?──沖縄を舞台に過去と現在が交錯する、奇想天外な物語

第118回(1997年下半期) – 該当作品なし

第119回(1998年上半期) – 花村萬月「ゲルマニウムの夜」

街で人を殺し、身を隠すため、自分が育った古巣の修道院兼教護院に舞い戻った青年・朧(ろう)。その修道院でもなお、修道女を犯し、神父に性の奉仕をし、暴力の衝動に身を任せて教護院の少年たちや動物に鉄拳をふるい、冒涜の限りを尽くす。あらゆる汚辱を身にまとう──もしや、それこそ現代では「神」に最も近く在る道なのだろうか?世紀末の虚無の中、〈神の子〉は暴走する。目指すは、僕の王国!第119回芥川賞を受賞した戦慄の問題作にして、「王国記」シリーズ第一作。

第119回(1998年上半期) – 藤沢周「ブエノスアイレス午前零時」

盲目の老嬢と孤独な青年が温泉旅館でタンゴを踊る時、ブエノスアイレスの雪が舞う。希望と抒情とパッションが交錯する希代の名作。第一一九回芥川賞を受賞、あらゆる世代の支持を受けたベストセラー、待望の文庫化。

第120回(1998年下半期) – 平野啓一郎「日蝕」

錬金術の秘蹟、金色に輝く両性具有者(アンドロギュノス)、崩れゆく中世キリスト教世界を貫く異界の光……。華麗な筆致と壮大な文学的探求で、芥川賞を当時最年少受賞した衝撃のデビュー作「日蝕」。明治三十年の奈良十津川村。蛇毒を逃れ、運命の女に魅入られた青年詩人の胡蝶の夢の如き一瞬を、典雅な文体で描く「一月物語」。閉塞する現代文学を揺るがした二作品を収録し、平成の文学的事件を刻む。

第121回(1999年上半期) – 該当作品なし

第122回(1999年下半期) – 玄月「蔭の棲みか」

ソバン翁の右手首は、戦争で吹き飛ばされた。朝鮮人の元軍人が補償を求めて提訴したことを知り、過去が蘇る。芥川賞受賞作他二篇

第122回(1999年下半期) – 藤野千夜「夏の約束」

ゲイのカップルの会社員マルオと編集者ヒカル。ヒカルと幼なじみの売れない小説家菊江。男から女になったトランスセクシャルな美容師たま代……少しハズれた彼らの日常を温かい視線で描き、芥川賞を受賞した表題作に、交番に婦人警官がいない謎を追う「主婦と交番」を収録した、コミカルで心にしみる作品集。

第123回(2000年上半期) – 町田康「きれぎれ」

時空を超え、乱舞する言語。第123回芥川賞受賞作。
浪費家、酒乱、趣味がランパブ通いの絵描きの俺。高校を中途で廃し、浪費家で夢見がちな性格のうえ、労働が大嫌い。金に困り、自分より劣る絵なのに認められ成功し、自分が好きな女と結婚している幼友達の吉原に借りにいってしまうが……。
無数の吉祥天女が舞い踊っているかのような花吹雪の中、青空に向かって町田ワールドが炸裂する。 現実と想像が交錯し、時空間を超える世界を描いた表題作と、「人生の聖」の計2篇を収録。

第123回(2000年上半期) – 松浦寿輝「花腐し」

中華街のバーで、二十年以上前に遇った女の幻影に翻弄される男の一夜を描く、事実上の初小説「シャンチーの宵」、芥川賞候補作「幽」、同受賞作「花腐し」ほか全6篇。知的かつ幻想的で、悲哀と官能を湛えた初期秀作群。社会から外れた男が生きる過去と現在を、類稀な魅力を放つ文体で生々しく再現し、小説の醍醐味が横溢する作品集。

第124回(2000年下半期) – 青来有一「聖水」

死に瀕した父はなぜ「聖水」を信じ続けるのか? 佐我里さんは教祖か、詐欺師か? 芥川賞を受賞した表題作をはじめ、四篇を収録

第124回(2000年下半期) – 堀江敏幸「熊の敷石」

「なんとなく」という感覚に支えられた違和と理解。そんな人とのつながりはあるのだろうか。 フランス滞在中、旧友ヤンを田舎に訪ねた私が出会ったのは、友につらなるユダヤ人の歴史と経験、そして家主の女性と目の見えない幼い息子だった。 芥川賞受賞の表題作をはじめ、人生の真実を静かに照らしだす作品集。

第125回(2001年上半期) – 玄侑宗久「中陰の花」

自ら予言した日に幽界へ旅立ったウメさんは、探し物を教えてくれる“おがみや”だった。臨済宗の僧侶である則道はその死をきっかけに、この世とあの世の中間=中陰(ちゅういん)の世界を受け入れ、みずからの夫婦関係をも改めて見つめ直していく──現役僧侶でもある著者が、生と死を独特の視点から描いて選考委員全員の支持を集めた、第125回芥川賞受賞の表題作。人口2万人の小さな町で、人目をしのんでひっそりと働き、暮らす女の日々を描く「朝顔の音」を併録。

第126回(2001年下半期) – 長嶋有「猛スピードで母は」

「私、結婚するかもしれないから」「すごいね」。小6の慎は、結婚をほのめかす母をクールに見つめ、母の恋人らしき男ともうまくやっていく。現実に立ち向う母を子どもの皮膚感覚であざやかに描いた芥川賞受賞作に加え、大胆でかっこいい父の愛人・洋子さんと小4の薫の奇妙な夏の日々を爽やかに綴った文學界新人賞受賞作「サイドカーに犬」を収録。子どもの視点がうつしだすあっけらかんとした現実に、読み手までも小学生の日々に引き戻される傑作短篇2篇。

第127回(2002年上半期) – 吉田修一「パーク・ライフ」

公園にひとりで座っていると、あなたには何が見えますか?
スターバックスのコーヒーを片手に、春風に乱れる髪を押さえていたのは、地下鉄でぼくが話しかけてしまった美女だった。噴水広場でカラフルな弁当を広げるOL、片足立ちの体操をする男、小さな気球を上げる老人・・・。ベンチの隣に座って彼女と言葉を交わし合ううち、それまでなんとなく見えていた景色が、にわかに切ないほどリアルに動きはじめる。
日比谷公園を舞台に、男と女の微妙な距離感を描いて、芥川賞を受賞した傑作小説。
ほかに東京で新生活をはじめた夫婦が、職場の先輩に振り回されてしまう「flowers」を収録。

第128回(2002年下半期) – 大道珠貴「しょっぱいドライブ」

港町に暮らす34歳のミホが、九十九さん(なで肩で筋肉がなく七面鳥のように皮膚のたるんだ天然パーマのへなちょこ老人)と同棲するに至るまでの奇妙な顛末。就職の保証人を「いいですよう」とふたつ返事でひき受け、町内会長の葬式で見かけた別居中の妻と愛人から逃げ隠れる九十九さん。ゆったりと走る車からオレンジ色の海を見たり、はんぺんのように軟らかく湿った唇と唇を合わせたり…。「人間と人間関係を描ききった」と絶賛された芥川賞受賞の表題作ほか、二編収録。

第129回(2003年上半期) – 吉村萬壱「ハリガネムシ」

私は風呂無しアパートに住む、高校の倫理教師。サチコが、突然アパートに押しかけてきた日から、私は堕ちはじめた。入浴料二千五百円、サービス料一万二千円の店で働く痩せたソープ嬢。手首には無数のためらい傷。2人の奇妙な共同生活の中で、セックスと暴力だけが加速していく。その果てにあるのは?人間存在の深奥を見据えて深い感動をよぶ傑作小説。「笑い、怒り、おぞましさ……これほど感情を翻弄された小説は久しぶりです」と山田詠美氏激賞の、戦慄の芥川賞受賞作!

第130回(2003年下半期) – 金原ひとみ「蛇にピアス」

蛇のように舌を二つに割るスプリットタンに魅せられたルイは舌ピアスを入れ身体改造にのめり込む。恋人アマとサディスティックな刺青師シバさんとの間で揺れる心はやがて…。第27回すばる文学賞、第130回芥川賞W受賞作。

第130回(2003年下半期) – 綿矢りさ「蹴りたい背中」

第130回芥川賞受賞作品。高校に入ったばかりの“にな川”と“ハツ”はクラスの余り者同士。やがてハツは、あるアイドルに夢中の蜷川の存在が気になってゆく……いびつな友情? それとも臆病な恋!? 不器用さゆえに孤独な二人の関係を描く、待望の文藝賞受賞第一作。

第131回(2004年上半期) – モブ・ノリオ「介護入門」

29歳、無職の〈俺〉。寝たきりの祖母を自宅で介護し、大麻に耽る――饒舌な文体でリアルに介護と家族とを問う、衝撃のデビュー作

第132回(2004年下半期) – 阿部和重「グランド・フィナーレ」

「2001年のクリスマスを境に、我が家の紐帯(ちゅうたい)は解(ほつ)れ」すべてを失った“わたし”は故郷に還る。そして「バスの走行音がジングルベルみたいに聞こえだした日曜日の夕方」2人の女児と出会った。神町(じんまち)――土地の因縁が紡ぐ物語。ここで何が終わり、はじまったのか。

第133回(2005年上半期) – 中村文則「土の中の子供」

27歳のタクシードライバーをいまも脅かすのは、親に捨てられ、孤児として日常的に虐待された日々の記憶。理不尽に引きこまれる被虐体験に、生との健全な距離を見失った「私」は、自身の半生を呪い持てあましながらも、暴力に乱された精神の暗部にかすかな生の核心をさぐる。人間の業と希望を正面から追求し、賞賛を集めた新世代の芥川賞受賞作。

第134回(2005年下半期) – 絲山秋子「沖で待つ」

仕事のことだったら、そいつのために何だってしてやる。そう思っていた同期の太っちゃんが死んだ。約束を果たすため、私は太っちゃんの部屋にしのびこむ。仕事を通して結ばれた男女の信頼と友情を描く芥川賞受賞作。

第135回(2006年上半期) – 伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」

30歳の誕生日に、妻と離婚する予定の敦。暑いさなか、自動販売機に飲料缶を補充する仕事に回る車内で、同僚のシングルマザー・水城さんに、敦は結婚生活の顛末を尋ねられるまま語りはじめる…。ほんの僅かずつ掛け違っていく夫婦を描いた、第135回芥川賞受賞の表題作。ほか、働く男女の暮らしを淡々と描き出す「貝からみる風景」、妊娠中の娘が実家に戻ってきたのを機に煙草との離脱を決意した男の進行形禁煙小説「安定期つれづれ」を収録。

第136回(2006年下半期) – 青山七恵「ひとり日和」

20歳の知寿が居候することになったのは、71歳の吟子さんの家。奇妙な同居生活の中、知寿はキオスクで働き、恋をし、吟子さんの恋にあてられ、成長していく。選考委員絶賛の第136回芥川賞受賞作!

第137回(2007年上半期) – 諏訪哲史「アサッテの人」

吃音(きつおん)による疎外感から凡庸な言葉への嫌悪をつのらせ、孤独な風狂の末に行方をくらました若き叔父。彼にとって真に生きるとは「アサッテ」を生きることだった。世の通念から身をかわし続けた叔父の「哲学的奇行」の謎を解き明かすため、「私」は小説の筆を執るが……。

第138回(2007年下半期) – 川上未映子「乳と卵」

第138回芥川賞・受賞作品。現代の樋口一葉の誕生!
初潮を迎える直前で無言を通す娘と、豊胸手術を受けようと上京してきた母親、そしてその妹である「わたし」が三ノ輪のアパートで過ごす三日間の物語。三人の登場人物の身体観と哲学的テーマが鮮やかに交錯し、魅惑を放つ!

第139回(2008年上半期) – 楊逸「時が滲む朝」

中国の小さな村に生まれた梁浩遠(リャン・ハウユェン)と謝志強(シェー・ツェーチャン)。大きな志を抱いて大学に進学した2人を、1989年の天安門事件が待ち受ける──。“我愛中国”を合言葉に中国を民主化しようと努力する貧しい学生たちの苦悩と挫折、そしてその後の人生。北京五輪前夜までの等身大の中国人を描ききった瑞々しい傑作。日本語を母語としない作家として、初めて芥川賞を受賞した楊逸(ヤン・イー)の代表作!

第140回(2008年下半期) – 津村記久子「ポトスライムの舟」

29歳、工場勤務のナガセは、食い扶持のために、「時間を金で売る」虚しさをやり過ごす日々。ある日、自分の年収と世界一周旅行の費用が同じ一六三万円で、一年分の勤務時間を「世界一周という行為にも換金できる」と気付くが――。ユーモラスで抑制された文章が胸に迫り、働くことを肯定したくなる芥川賞受賞作。

第141回(2009年上半期) – 磯崎憲一郎「終の住処」

結婚すれば世の中のすべてが違って見えるかといえば、やはりそんなことはなかったのだ──。互いに二十代の長く続いた恋愛に敗れたあとで付き合いはじめ、三十を過ぎて結婚した男女。不安定で茫漠とした新婚生活を経て、あるときを境に十一年、妻は口を利かないままになる。遠く隔たったままの二人に歳月は容赦なく押し寄せた……。ベストセラーとなった芥川賞受賞作。

第142回(2009年下半期) – 該当作品なし

第143回(2010年上半期) – 赤染晶子「乙女の密告」

ある外国語大学で流れた教授と女学生にまつわる黒い噂。乙女達が騒然とするなか、みか子はスピーチコンテストの課題『アンネの日記』のドイツ語のテキストの暗記に懸命になる。そこには、少女時代に読んだときは気づかなかったアンネの心の叫びが記されていた。やがて噂の真相も明らかとなり……。悲劇の少女アンネ・フランクと現代女性の奇跡の邂逅を描く、感動の芥川賞受賞作。

第144回(2010年下半期) – 朝吹真理子「きことわ」

貴子(きこ)と永遠子(とわこ)。葉山の別荘で、同じ時間を過ごしたふたりの少女。最後に会ったのは、夏だった……。25年後、別荘の解体をきっかけに、ふたりは再会する。ときにかみ合い、ときに食い違う、思い出。境がゆらぐ現在、過去、夢。記憶は縺れ、時間は混ざり、言葉は解けていく――。やわらかな文章で紡がれる、曖昧で、しかし強かな世界のかたち。小説の愉悦に満ちた、芥川賞受賞作。

第144回(2010年下半期) – 西村賢太「苦役列車」

劣等感とやり場のない怒りを溜め、埠頭の冷凍倉庫で日雇い仕事を続ける北町貫多、19歳。将来への希望もなく、厄介な自意識を抱えて生きる日々を、苦役の従事と見立てた貫多の明日は――。現代文学に私小説が逆襲を遂げた、第144回芥川賞受賞作。

第145回(2011年上半期) – 該当作品なし

第146回(2011年下半期)- 円城塔「道化師の蝶」

無活用ラテン語で書かれた小説『猫の下で読むに限る』で道化師と名指された実業家のエイブラムス氏。その作者である友幸友幸は、エイブラムス氏の潤沢な資金と人員を投入した追跡をよそに転居を繰り返し、現地の言葉で書かれた原稿を残してゆく。幾重にも織り上げられた言語をめぐる物語。

第146回(2011年下半期)- 田中慎弥「共喰い」

一つ年上の幼馴染、千種と付き合う十七歳の遠馬は、父と父の女の琴子と暮らしていた。セックスのときに琴子を殴る父と自分は違うと、自らに言い聞かせる遠馬だったが、やがて内から沸きあがる衝動に戸惑いつつも、次第にそれを抑えきれなくなって─。川辺の田舎町を舞台に起こる、逃げ場のない血と性の問題。第146回芥川賞受賞作。文庫化にあたり、瀬戸内寂聴氏との対談を収録。ほか「第三紀層の魚」併録。

第147回(2012年上半期)- 鹿島田真希「冥土めぐり」

子供の頃、家族で行った海に臨むホテル。そこは母親にとって、一族の栄華を象徴する特別な場所だった。今も過去を忘れようとしない残酷な母と弟から逃れ、太一と結婚した奈津子は、久々に思い出の地を訪ねてみる…。車椅子の夫とめぐる“失われた時”への旅を通して、家族の歴史を生き直す奈津子を描く、感動の芥川賞受賞作。

第148回(2012年下半期)- 黒田夏子「abさんご」

「途方もないものを読ませていただいた」──蓮實重彦・東大元総長の絶賛を浴びて早稲田文学新人賞を受賞した本作は、75歳の著者デビュー作。昭和の知的な家庭に生まれたひとりの幼子が成長し、両親を見送るまでの美しくしなやかな物語である。半世紀以上ひたむきに文学と向き合い、全文横書き、「固有名詞」や「かぎかっこ」「カタカナ」を一切使わない、日本語の限界に挑む超実験小説を完成させた。第148回芥川賞受賞作。小説集『abさんご』より表題作のみ収録。

第149回(2013年上半期)- 藤野可織「爪と目」

あるとき、母が死んだ。そして父は、あなたに再婚を申し出た。あなたはコンタクトレンズで目に傷をつくり訪れた眼科で父と出会ったのだ。わたしはあなたの目をこじあけて――三歳児の「わたし」が、父、喪った母、父の再婚相手をとりまく不穏な関係を語る。母はなぜ死に、継母はどういった運命を辿るのか……。独自の視点へのアプローチで、読み手を戦慄させる恐怖作(ホラー)。芥川賞受賞。

第150回(2013年下半期)- 小山田浩子「穴」

仕事を辞め、夫の田舎に移り住んだ私は、暑い夏の日、見たこともない黒い獣を追って、土手に空いた胸の深さの穴に落ちた。甘いお香の匂いが漂う世羅さん、庭の水撒きに励む寡黙な義祖父に、義兄を名乗る見知らぬ男。出会う人々もどこか奇妙で、見慣れた日常は静かに異界の色を帯びる。芥川賞受賞の表題作に、農村の古民家で新生活を始めた友人夫婦との不思議な時を描く2編を収録。

第151回(2014年上半期)- 柴崎友香「春の庭」

東京・世田谷の取り壊し間近のアパートに住む太郎は、住人の女と知り合う。
彼女は隣に建つ「水色の家」に、異様な関心を示していた。
街に積み重なる時間の中で、彼らが見つけたものとは――
第151回芥川賞に輝く表題作に、「糸」「見えない」「出かける準備」の三篇を加え、
作家の揺るぎない才能を示した小説集。

第152回(2014年下半期)- 小野正嗣「九年前の祈り」

三十五になるさなえは、幼い息子の希敏をつれてこの海辺の小さな集落に戻ってきた。希敏の父、カナダ人のフレデリックは希敏が一歳になる頃、美しい顔立ちだけを息子に残し、母子の前から姿を消してしまったのだ。何かのスイッチが入ると大騒ぎする息子を持て余しながら、さなえが懐かしく思い出したのは、九年前の「みっちゃん姉」の言葉だった──。痛みと優しさに満ちた〈母と子〉の物語。 表題作他四作を収録。芥川賞受賞作。

第153回(2015年上半期)- 羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」

「じいちゃんなんて、早う死んだらよか」。

ぼやく祖父の願いをかなえようと、孫の健斗はある計画を思いつく。自らの肉体を筋トレで鍛え上げ、転職のために面接に臨む日々。
人生を再構築していく中で、健斗は祖父との共生を通して次第に変化していく――。

瑞々しさと可笑しみ漂う筆致で、青年の稚気と老人の狡猾さを描ききった、羽田圭介の代表作。

新しい家族小説の誕生を告げた第153回芥川賞受賞作が待望の文庫化!

第153回(2015年上半期)- 又吉直樹「火花」

売れない芸人の徳永は、熱海の花火大会で、先輩芸人である神谷と電撃的に出会い、「弟子にして下さい」と申し出た。神谷は天才肌でまた人間味が豊かな人物。「いいよ」という答えの条件は「俺の伝記を書く」こと。神谷も徳永に心を開き、2人は頻繁に会って、神谷は徳永に笑いの哲学を伝授しようとする。吉祥寺の街を歩きまわる2人はさまざまな人間と触れ合うのだったが、やがて2人の歩む道は異なっていく。徳永は少しずつ売れていき、神谷は少しずつ損なわれていくのだった。お笑いの世界の周辺で生きる女性たちや、芸人の世界の厳しさも描きながら、驚くべきストーリー展開を見せる。

第154回(2015年下半期)- 滝口悠生「死んでいない者」

通夜が奇跡の一夜に。芥川賞受賞作

ある秋の日、大往生を遂げた男の通夜に親戚たちが集った。
子、孫、ひ孫三十人あまり。
縁者同士の一夜の何気ないふるまいが、死と生をめぐる一人一人の思考と記憶を呼び起こし、
重なり合う生の断片の中から、永遠の時間が現出する。

「傑作」と評された第154回芥川賞受賞作に、単行本未収録作「夜曲」を加える。

第154回(2015年下半期)- 本谷有希子「異類婚姻譚」

子供もなく職にも就かず、安楽な結婚生活を送る専業主婦の私は、ある日、自分の顔が夫の顔とそっくりになっていることに気付く。「俺は家では何も考えたくない男だ。」と宣言する夫は大量の揚げものづくりに熱中し、いつの間にか夫婦の輪郭が混じりあって…。「夫婦」という形式への違和を軽妙洒脱に描いた表題作が第154回芥川賞受賞! 自由奔放な想像力で日常を異化する傑作短編集。

第155回(2016年上半期)- 村田沙耶香「コンビニ人間」

「普通」とは何か?
現代の実存を軽やかに問う第155回芥川賞受賞作

36歳未婚、彼氏なし。コンビニのバイト歴18年目の古倉恵子。
日々コンビニ食を食べ、夢の中でもレジを打ち、
「店員」でいるときのみ世界の歯車になれる――。

「いらっしゃいませー!!」
お客様がたてる音に負けじと、今日も声を張り上げる。

ある日、婚活目的の新入り男性・白羽がやってきて、
そんなコンビニ的生き方は恥ずかしい、と突きつけられるが……。

累計92万部突破&20カ国語に翻訳決定。
世界各国でベストセラーの話題の書。

第156回(2016年下半期)- 山下澄人「しんせかい」

十九歳のスミトは、船に乗って北へ向かう。行き着いた【谷】で待ち受けていたのは、俳優や脚本家を志望する若者たちとの自給自足の共同生活、そして【先生】だった。

過酷な肉体労働、同期との交流、【先生】の演劇指導、地元に残してきた“恋人未満”の女性・天の存在。スミトの心は日々、様々に揺れ動く。

なんともないけど、かけがえのない、十代最後の一年間。
実際に富良野塾二期生として倉本聰氏に師事した著者が、十九歳の記憶をたぐり綴った、等身大の青春小説。

第157回(2017年上半期)- 沼田真佑「影裏」

北緯39度。会社の出向で移り住んだ岩手の地で、
ただひとり心を許したのが、同僚の日浅だった。
ともに釣りをした日々に募る追憶と寂しさ。
いつしか疎遠になった男のもう一つの顔に、
「あの日」以後、触れることになるのだが……。

第158回(2017年下半期)- 石井遊佳「百年泥」

私はチェンナイ生活三か月半にして、百年に一度の洪水に遭遇した。橋の下に逆巻く川の流れの泥から百年の記憶が蘇る! かつて綴られなかった手紙、眺められなかった風景、聴かれなかった歌。話されなかったことば、濡れなかった雨、ふれられなかった唇が、百年泥だ。流れゆくのは――あったかもしれない人生、群れみだれる人びと……

第158回(2017年下半期)- 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」

74歳、ひとり暮らしの桃子さん。
おらの今は、こわいものなし。

結婚を3日後に控えた24歳の秋、東京オリンピックのファンファーレに押し出されるように、故郷を飛び出した桃子さん。
身ひとつで上野駅に降り立ってから50年――住み込みのアルバイト、周造との出会いと結婚、二児の誕生と成長、そして夫の死。
「この先一人でどやって暮らす。こまったぁどうすんべぇ」
40年来住み慣れた都市近郊の新興住宅で、ひとり茶をすすり、ねずみの音に耳をすませるうちに、桃子さんの内から外から、声がジャズのセッションのように湧きあがる。
捨てた故郷、疎遠になった息子と娘、そして亡き夫への愛。震えるような悲しみの果てに、桃子さんが辿り着いたものとは――

青春小説の対極、玄冬小説の誕生!
*玄冬小説とは……歳をとるのも悪くない、と思えるような小説のこと。
新たな老いの境地を描いた感動作。第54回文藝賞受賞作。
主婦から小説家へーー63歳、史上最年長受賞。

第159回(2018年上半期)- 高橋弘希「送り火」

春休み、東京から山間の町に引っ越した中学3年生の少年・歩。
新しい中学校は、クラスの人数も少なく、来年には統合されてしまうのだ。
クラスの中心にいる晃は、花札を使って物事を決め、いつも負けてみんなのコーラを買ってくるのは稔の役割だ。転校を繰り返した歩は、この土地でも、場所に馴染み、学級に溶け込み、小さな集団に属することができた、と信じていた。
夏休み、歩は家族でねぶた祭りを見に行った。晃からは、河へ火を流す地元の習わしにも誘われる。
「河へ火を流す、急流の中を、集落の若衆が三艘の葦船を引いていく。葦船の帆柱には、火が灯されている」
しかし、晃との約束の場所にいたのは、数人のクラスメートと、見知らぬ作業着の男だった。やがて始まる、上級生からの伝統といういじめの遊戯。

歩にはもう、目の前の光景が暴力にも見えない。黄色い眩暈の中で、ただよく分からない人間たちが蠢き、よく分からない遊戯に熱狂し、辺りが血液で汚れていく。

豊かな自然の中で、すくすくと成長していくはずだった
少年たちは、暴力の果てに何を見たのか――

「圧倒的な文章力がある」「完成度の高い作品」と高く評価された中篇小説。

第160回(2018年下半期)- 上田岳弘「ニムロッド」

それでも君はまだ、人間でい続けることができるのか。 あらゆるものが情報化する不穏な社会をどう生きるか。
新時代の仮想通貨小説!

仮想通貨をネット空間で「採掘」する僕・中本哲史。
中絶と離婚のトラウマを抱えた外資系証券会社勤務の恋人・田久保紀子。
小説家への夢に挫折した同僚・ニムロッドこと荷室仁。……
やがて僕たちは、個であることをやめ、全能になって世界に溶ける。「すべては取り換え可能であった」という答えを残して。 ……

第160回(2018年下半期)- 町屋良平「1R1分34秒」

なんでおまえはボクシングやってんの?
デビュー戦を初回KOで飾ってから三敗一分。
当たったかもしれないパンチ、
これをしておけば勝てたかもしれない練習。
考えすぎてばかりいる、21歳プロボクサーのぼくは、
自分の弱さに、その人生に厭きていた……。

長年のトレーナーにも見捨てられ、
先輩の現役ボクサーで駆け出しトレーナーの
変わり者、ウメキチとの練習の日々が、
ぼくを、その心身を、世界を変えていく――

第161回(2019年上半期)- 今村夏子「むらさきのスカートの女」

近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性のことが、気になって仕方のない〈わたし〉は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で働きだすように誘導し……。

『こちらあみ子』『あひる』『星の子』『父と私の桜尾通り商店街』と、唯一無二の視点で描かれる世界観によって、作品を発表するごとに熱狂的な読者が増え続けている著者の最新作。

第162回(2019年下半期)- 古川真人「背高泡立草」

大村奈美は、母の実家・吉川家の納屋の草刈りをするために、母、伯母、従姉妹とともに福岡から長崎の島に向かう。吉川家には<古か家>と<新しい方の家>があるが、祖母が亡くなり、いずれも空き家になっていた。奈美は二つの家に関して、伯父や祖母の姉に話を聞く。吉川家は<新しい方の家>が建っている場所で戦前は酒屋をしていたが、戦中に統制が厳しくなって廃業し、満州に行く同じ集落の者から家を買って移り住んだという。それが<古か家>だった。島にはいつの時代も、海の向こうに出ていく者や、海からやってくる者があった。江戸時代には捕鯨が盛んで蝦夷でも漁をした者がおり、戦後には故郷の朝鮮に帰ろうとして船が難破し島の漁師に救助された人々がいた。時代が下って、カヌーに乗って鹿児島からやってきたという少年が現れたこともあった。草に埋もれた納屋を見ながら奈美は、吉川の者たちと二つの家に流れた時間、これから流れるだろう時間を思うのだった。

タイトルとURLをコピーしました