【おすすめ】ジェイムズ・ジョイスの全作品を一覧であらすじを紹介します

ジェイムズ・オーガスティン・アロイジアス・ジョイス(1882年2月2日 – 1941年1月13日)

小説家、詩人。アイルランド・ラスガー生まれ。マルセル・プルースト、フランツ・カフカと並び、20世紀の最も重要な作家の1人と目される。様々な手法を駆使した実験的な小説『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』などを残し、後世の作家に絶大な影響を与えた。

おすすめ作品ランキング

長い記事なので、先におすすめランキングを紹介します!

  • 1位:ユリシーズ
  • 2位:若き芸術家の肖像
  • 3位:フィネガンズ・ウェイク

作品年表リスト

『芸術家の肖像』A Portrait of the Artist(1904年)エッセイ

『若き芸術家の肖像』の原型となったエッセイです。

『スティーヴン・ヒーロー』Stephen Hero(1904年 – 1906年)

ジョイスの妻ノーラが火中から救ったといわれる『若い芸術家の肖像』初稿断片の邦訳!
青年ジョイスの実像が鮮やかに描かれた衝撃の自伝小説。この小説の執筆のためにジョイスが徹底的に活用した初期の文書4種の付録によって芸術家の秘密に迫る!

『芸術家の肖像』を改稿した小説です。

執筆よりもだいぶ後、ジェイスの死後3年経った1944年になって出版されました。

『室内楽』Chamber Music(1907年)詩集

『ダブリン市民(ダブリナーズ)』Dubliners(1914年)

海外名作新訳コレクション。『ダブリン市民』が生まれ変わった!
『フィネガンズ・ウェイク』の訳者による画期的新訳。

アイルランドの首都ダブリン、この地に生れた世界的作家ジョイスが、「半身不随もしくは中風」と呼んだ20世紀初頭の都市。その「魂」を、恋心と性欲の芽生える少年、酒びたりの父親、下宿屋のやり手女将など、そこに住まうダブリナーたちを通して描いた15編。最後の大作『フィネガンズ・ウェイク』の訳者が、そこからこの各編を逆照射して日本語にした画期的新訳。『ダブリン市民』改題。

『若き芸術家の肖像』A Portrait of the Artist as a Young Man(1916年)

あの難解とされた名作はこんなにも面白かった! 鮮やかな丸谷流新解釈が冴える『ユリシーズ』へと繋がるジョイスの半自伝的小説。英文学者丸谷才一の研究・翻訳の集大成、読売文学賞受賞作、文庫化。

カトリックの信仰をすてて文学を志す主人公スティーヴン・ディーダラスの、幼年時代から青春時代を描いた小説です。

ディーダラスは、ジョイス自身がモデルと言われていて、代表作『ユリシーズ』の主人公の一人でもあります。

難解とも言われますが、それは主に3つの理由があります。

  • 1、扱われているキリスト教信仰の問題が、多くの日本人にとってよく分からないこと。
  • 2、文体が変わるなど、実験的な手法が用いられていること。
  • 3、アイルランドの文化やギリシア神話の知識がないこと。

本作のストーリーの主軸は「主人公がカトリックの信仰を捨て文学を志すか悩む」ということですね。そのため、自伝的でもあり、成長を描いた小説でもあるわけです。

でも日本でキリスト教は神道や仏教ほどは信仰されていませんし、文化にも根付いていません。肌感覚として分からないですし、専門用語も馴染みがありません。

もう一つは、文体が変わるということ。主人公の年齢に合わせて、文章が変わります。冒頭は絵本かと思うくらい、ひらがなだらけの簡単な文章です。成長に合わせて漢字が混じって来たり、難しい表現が含まれたり、心理描写が含まれたりします。

3つ目に関して言えば、アイルランドの文化やギリシア神話についてはキリスト教徒の中でも知らない人ももちろんいるでしょう。ここは分からないなら分からないなりに読み進めることは出来ると思います。

「難解」「わけわからない」という前評判を聞いて身構えながら読み始めたためか、それほど難しい印象は抱きませんでした。

ただ、キリスト教関連の知識がなかったため、ところどころで頭の中に?が浮かぶ事態に。

できればキリスト教、アイルランド文化、ギリシア神話について簡単な入門書を読んでおいた方がいいですね。面倒でも、ウィキペディアを斜め読みくらいはしたほうがいいと思います

『追放者たち』Exiles(1918年)戯曲

『ユリシーズ』Ulysses(1922年)

20世紀最高の文学「ユリシーズ」待望の文庫化。新しい文体を創始し、表現の可能性の極限に迫ったといわれる傑作。最高の訳者たちによる達意の完訳は、世界にも類のない作品。

物語は冴えない中年の広告取りレオポルド・ブルームを中心に、ダブリンのある一日(1904年6月16日)を多種多様な文体を使って詳細に記録している。意識の流れの技法、入念な作品構成、夥しい数の駄洒落・パロディ・引用などを含む実験的な文章、豊富な人物造形と幅広いユーモアなどによって、『ユリシーズ』はエズラ・パウンド、T・S・エリオットらから大きな賞賛を受ける一方、数多くの反発を呼び起こした。

世界文学史に圧倒的な存在感を放つ大長編です。とにかく難解と言われますが、それは間違いありません。

ストーリー自体はシンプル。とある日の主人公たちの朝からの出来事を追いかけて書いているだけです。ただ、『ユリシーズ』は難しい。読んで感じるのは、難しいだけではなく、とにかく読み進めるのが大変だということです。

タイトルの『ユリシーズ』はオデュッセウスのラテン語形の英語化で、18の章からなる物語全体の構成はホメロスの『オデュッセイア』との対応関係を持っています。

つまりホメロスの『オデュッセイア』を知らないと分からないネタがあります。全18章ある中では文体もコロコロ変わりますし、作中のダジャレ・パロディ・過去の様々な作品からの引用はまず間違いなく元ネタがさっぱり分かりません膨大な注釈は本文が終わった後も延々と続きますが、それを読んだとしても、結局「なるほど分からん」となります。

(これも通じにくい例えですが、日本のことをよく知らない、週刊少年ジャンプを読んだことがないという人が、「太臓もて王サーガ」をどれだけ楽しめるか、という感じでしょうか)

加えて『若き芸術家の肖像』でも書いたような馴染みのなさもあり、理解するハードルはかなり高い作品です。

僕も作品を理解できたとは思えないですが、読み終わった(目を通した)後には「一度挑戦してみてよかったな」と思いました。

それは、僕が自分でも小説を書いているせいもあると思います。それは『ユリシーズ』には様々な小説の技法が大型百貨店のように揃っているからです。

ジョイスは『ユリシーズ』の18の章をそれぞれ「同業者には未知で未発見の十八の違った観点と同じ数の文体」で書くことを試みている。前半の文体を特徴付けているのは「内的独白」ないし「意識の流れ」と呼ばれる手法であり、主要人物の意識に去来する想念を切れ目なく直接的に映し出してゆく。この手法に関しては、ジョイスは交流のあったフランスの作家エドゥアール・デュジャルダンの『月桂樹は切られた』から影響を受けたことを認めている。

多くの書き手は様々なルールがあることを感じていると思います。例えば、「です・ます調」と「である調」は同じ文章の中で一緒に使ってはいけないとかですね。
参考書くための文章読本(瀬戸賢一)のあらすじ・解説・感想

そのほかにも書き手によって様々な決まりがあると思います。あるいは凝り固まってしまっているというべきかもしれません。

しかし『ユリシーズ』を読むと、そんなのはただの勘違いだということがわかります。小説を書き場合には様々なやり方があり、もっと自由なんだということに気が付かされるのです。

特に「第十八挿話 ペネロペイア」がそうですね。この最終章を読むと、100年も前の作家がこれほど様々な手法を試していたことに驚かされます。

まぁ様々な手法から勇気を貰っても、いきなり自分の書く文章が良くなるわけではないんですけどね…『ユリシーズ』を読むと、ジョイスの言語感覚の秀逸さの一端が垣間見える気がします。

ぜひ一度は挑戦してほしいです。あらかじめ共通の主人公を持つ『若き芸術家の肖像』から読んでもいいですし(僕はそうしました)、いきなり『ユリシーズ』からでも全然良いと思います。

事前にキリスト教やホメロスの『オデュッセイア』、アイルランド文化の知識があればベスト。ですが、膨大なダジャレやパロディの元ネタを事前にすべて知るのはまず不可能です。

どうせ分からないと割り切って、分からない事柄をその都度調べるのでもOKです。時間はかかりますが、それほどの手間をかけてでも読む価値はあります

『ポームズ・ペニーチ』Pomes Penyeach(1927年)詩集

『フィネガンズ・ウェイク』Finnegans Wake(1939年)

ジョイス文学の極点を一望する画期的試み。

居酒屋の主人一家の人間劇に世界の神話歴史が重ねられた壮大な作品。昼の書『ユリシーズ』に対して夜の夢を描く書。難解な作品が、明快な訳文と断章ごとの解説により鮮やかに全体像を現した。

言語感覚に優れていたジョイスの「言葉遊び」が極限に達した作品です。『ユリシーズ』を傑作というのなら、『フィネガンズ・ウェイク』は奇作、怪作と呼ぶのが相応しいでしょう。

基本的には、英語による小説なんですが、世界中のあらゆる言語が散りばめられており、訳が分かりません。メインとなる英語自体も様々な手法が先鋭化しており、文法的にはめちゃくちゃなことも。

翻訳が不可能と言われる中、翻訳を行った各先生方には頭の下がる思いですが、僕はさっぱり理解できませんでした。文学ファンよりも言語ファン向けなのかも。それにしたってかなりのマニアっぷりが求められていそうですけどね。

それでも肩の力を抜いてから手に取り、「あーなるほどね」と頭の中がハテナマークで埋まってでも、まず読んでみるのがこの本のことを理解する一番の近道でしょう。

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